藻琴湖の牡蠣藻琴湖の牡蠣


藻琴湖の牡蠣

午前3時30分起床。浅草は晴れ。今年も「宮田さん」からの冬の「贈与」である「藻琴湖の牡蠣」が届いた。最近は「藻琴湖」の「至宝牡蠣」とも呼ばれているらしいが、今年は昨年よりも縦隔量が減っているらしく、この若く美しい牡蠣を、浅草くんだりで、のほほんと食べてもいいのだろか、と思ったりもする。

いや、貴重なものを何時もありがとう、なのであるが、しかし、何時の間にか「至宝牡蠣」というブランドが付いたらしいが、どうしてそう呼ばれるようになったのかは、あたしには分からない。ただ「藻琴湖の牡蠣」は1、2年ものの若い牡蠣であり、それを「蒸し牡蠣」にして食べると素らしくうまい、と云うことだけが(あたしが)知っている全てである。

晴至宝牡蠣というブランド化

「至宝牡蠣」も新しい「ブランド」である。ただ「藻琴湖の牡蠣」はその「ブランド」とは関係なく昔からある(たぶん)。ただ、新しい「ブランド」 を立ち上げた意味とは何だろう、と考える(別に考えなくとも良いと云われそうだが(笑))。(たぶん) 最初に、他にない「藻琴湖」だけのものとしてある牡蠣だ、ということだろう。

そして、それが販売できること、 それが有名になりヒットすることも「ブランド化」の目的である。まあ、 そんなことが一般的だろう。 だけどだ、「ブランド化」の本来の意味は、漁業の「三位一体モデル」(農業を漁業と置き換えてみてほしい)なのである(笑)。

「三位一体モデル」の云っていることは、ビジネスで成功したければ、ビジネス以外の、つまり「交換」(これがビジネスだよ)以外の、「贈与」と「純粋贈与」とはなにかを考えなさい、ということなのだ。その意味では「宮田さん」を初めとする「贈与」の人達は立派なビジネスマンなのだ。

藻琴湖の牡蠣

藻琴湖
北海道網走市藻琴