贈与共同体としてのGoogle

Googleについては、先(2006/11/5)に、「Googleの純粋贈与仮説-普遍経済学的アプローチ。普遍経済学モデルというオチャラケモノの考察をしてみた。

それはGoogleを純粋贈与の位置においての考察であった。

今回、Googleを贈与の位置においてみると面白いのではないか、と(ふと)思ったのだが、この贈与の位置とは、Googleに限らず、(贈与共同体としての)企業ベースのIT化、協会ベースのIT化を考えるときに、(私が)いつもやっていることではある。

つまり企業(Googleも会社だものね)は、経済的な存在であると同時に、贈与的な共同体である、というのが(私の)基本的な考え方である――つまり種の論理。


純粋贈与は何か

Googleの普遍経済学モデルでは、Googleを贈与に置いたとき、純粋贈与はなにか。それはインターネットでしかないだろう――それは当然に、インターネットにいる「わたしたち」を含む。

それは、インターネットはまるで、自然のようなふるまいをみせるということだ。(ベキ法則はその端的なものかもしれない)。

つまりGoogleが、インターネットに対して、互恵的利他性をもって、世話をする(貸しをつくる)ことで、インターネットはGoogleにお返しをする。そのことで、Googleとインターネットの境界には純生産、つまり価値の増殖が起こる。

その純生産は、交換の原理と交わった途端に――まるでトリックのように商品となる。

つまり交換はなにかといえば、それは交換の原理(資本の原理)だと割り切ってしまってよい。

そしてここが肝なのだが、上記のように考えれば、よい商品とはよい純生産であり、よい純生産は、純粋贈与(自然)への献身的な贈与の見返りとして生まれるということだ。

つまりGoogleは企業ではあるが、あんましビジネス(交換の原理)を考えていないのじゃないのか、というのが私の仮説である――だからユーザーである私からみると純粋贈与にみえる。

これは、今までのビジネス理論とはちがうモデルであることで、たぶん古いパラダイムにいる人は理解できない。

農業の三位一体モデル

しかしこれを農業で考えてみればわかりやすいだろう。

農業の三位一体モデル農業における純粋贈与は畑であり、田圃であり、大地であり、つまり自然のことだ。

贈与は農家でも農村でも農業法人でもよいだろう――まさにそれらは贈与的共同体なのだから。

農業においては、純粋贈与である自然に対して、それを愛おしむように世話をする。

つまりそれは自然に対する贈与であり、貸しである。その借りを返すように自然は純生産としての農作物を返してくれる。そこに交換が交わることで、農作物は商品となる。

だから昨今、化学肥料を使わない有機農法なんかが注目されているわけで、自然を大切にしながら(それは贈与だね)つくられた作物には、よい値段がつくじゃないの。

つまり中沢新一の「三位一体モデル」のいっていることは、ビジネスで成功したければ、ビジネス以外の、つまり交換以外の、贈与と純粋贈与とはなにかを考えなさい、ということなのだと思う。

けれども、なぜそれを「父-子-聖霊」のトポロジーだけで説明しようとしたのかはぜんぜんわからない。

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三位一体モデル TRINITY

中沢新一(著)
2007年1月1日
東京糸井重里事務所
1200円+税