正解の思い込み

なぜコンピュータへの投資が業績の向上に結びつかないのかを深く考え分析する経営者もほとんどいません。もちろんコンピュータを売る方は「そんなことはない」といい張るだけでしょう。そして、こういうのです。

「あなたの使い方が悪いから」


それで、「中小建設業ではコンピュータはやっぱり役にはたたないのだ」とほとんどの経営者は自らを納得させておしまいにしているのです。「建設業の経営なんて結局そんなものさ」というような、ミもフタもない意見もたくさん聞いてきましたが、この「あきらめ」の正体は、多くの経営者が陥っているある「思い込み」なのです。それは、

 〈経営に正解はあるという思い込み〉

です(以下、「正解の思い込み」と呼びます)。これは、「経営戦略のようなものは、どこかで、コンピュータソフトのように販売されている」と思い込んでいるということです。

この「思い込み」は、その「正解」を買えば当社にも立派な経営戦略がやってくる、というような、なんともお気楽で、他人任せな精神に支えられているものですが、それが「ベスト・ソリューション」とかいうモノを導入すればすべてがうまくいくというなビジネスを成り立たせているのも事実です。しかしこれも、中小建設業の妄信的な行動と、その結果としての失望を生み出しているだけでしかありません。

「正解の思い込み」は、その「ベスト・ソリューション」が失敗に終わっても、深く反省することはありません。ただ次なる「ベスト・ソリューション」探しを始めるだけです。失敗のあとで、経営者は「こんどはちゃんと説明書を読んでから使おう」と心に決めるのです。でもその決心もすぐに忘れてしまいます。次なる「ベスト」探しはいつのまにか他人任せになってしまいます。そして次なる正解探しをするには自分はあまりにも忙しい、と経営者は自分を弁護します。「私」は忙しいのです。ですから、なぜコンピュータ投資は業績の向上に結びつかないのかを深く考え分析する暇はありません。でもゴルフに行く時間はあったりします。

全てに関して「正解」と思えるようなものがもう存在している-これが当たり前になった時、人は競って「正解」の方へ走る。それが「正解」であるかどうかは別にして。「あっちに正解がある」の声があがれば、とりあえずそちらの方向へ走る。走った後で、「なんだ、違うのか」という落胆が一時的にあったとしても、「正解を求めて走る」という習慣だけは崩れない。それが、「正解はどこかにある」と信じられていた時代のあり方である。

橋本治はこういい切ります。(橋本治,『「わからない」という方法』,2001,集英社新書)つまり、企業経営というミクロ的な視点からみると、IT化が遅れている原因は、

〈IT化と情報化とは何が違うのかを売る方も買う方もわかったふりをしている〉

ということです。そして、この深層には、「正解の思い込み」という思考の閉塞が存在している、ということなのです。「正解の思い込み」とは、考えることの放棄でしかありません。今、経営には何が必要で何が不要なのか、という経営判断を、自ら放棄しているだけなのです。

それは「今という時代」の経営にとっては致命的なものです。この正解探しの堂々巡りは、情報化に限らず、最近流行のISO9000sとかのマネジメントツールの妄信的な導入にもみることができます。それは、その正解のようなものが、どのよう業態、経営環境でも等しく効果をもたらすという、「正解の思い込み」がつくり続けているものなのです。