ふぐ屋の技術ミーム

中小建設業の「狭義の技術ミーム」は、たとえばふぐの調理免許のようなものです。これは相手の「能力」に対する期待としての信頼を担保します。ふぐ屋を開業するには調理免許は最低限の適応課題であり、これも「技術のミーム」には違いありません。この調理免許という狭義の「技術のミーム」は、調理人のふぐを調理できる、という技術(能力)に対する信頼を形成することはできます。


しかし、店開きしたふぐ屋が繁盛するのかどうかの要因は、このような「狭義の技術のミーム」とは別のところにあります。調理免許を持っていることと店が繁盛することはイコールで結ばれることは絶対にないはずです。そこで、オーナーは自分の店の特色を出す努力(経営努力)をすることになるのです。これが「経営」であり「商い」というものです。

たとえば、おもいきり低価格戦略を打ち出して、「価格と量」を売りにすることも可能でしょうし、味やサービス、店の雰囲気とか、店主の人柄とか、つまりは私たちが「広義の技術ミーム」と呼ぶものを売りにすることもひとつの戦略です。

でも、それでも商売が成功できるかどうかはわかりません。全てはこのふぐ店の持っている「技術のミーム」を総動員して、「ふぐを食べるならこの店だ!」という「消費のミーム」を形成できるか否かにかかっています。そこでは、なによりも「おいしい」という本質的なものへの依存が大きくなります。このことは、この「おいしい」というような数値で表せない「広義の技術ミーム」が、「狭義の技術ミーム」だけでは「よそ」に差をつけることが難しい市場でのコア・コンピタンスだ、ということです。

そして、ここでもうひとつ指摘できることは、このふぐ屋の例にしても、商売が繁盛するという時には、取引情報の「メタ情報としての信頼」を形成するようなものはちゃんと存在している、ということです。

それは調理人の能力に対する信頼としての調理免許と、たとえば、「天然もののとらふぐ」と表示をしていれば、それは嘘偽りなく「天然もののとらふぐ」であるとか、調理人の「腕と」に対する信頼、たとえば、いつでも誰に対してでも「うまい」料理を提供するし、一見の客にも手抜きはしない、というような、調理人の「意図」に対する信頼です。この「意図」に対する信頼は、ふぐ屋のコア・コンピタンスを支えるメタ情報のひとつと考えてもよいでしょう。