食用人造少女・美味ちゃん
食用人造少女・美味ちゃん


笹団子美味ちゃん

一昨日「笹団子」を書いていて、不謹慎にも「食用人造少女・美味ちゃん」を思い出してしまっていた。それはたぶん、世間一般ではとんでもない不謹慎さとして扱われるたぐいの感性である。

会田誠は新潟の出身であって、わざわざ「新潟名物笹団子」として自らのパトリを「笹団子美味ちゃん」に宿している。(画像:上)

私は、それが彼一流の"遊び"であるというよりも、なにか郷愁のようなものを強く感じてしまっていたのだ。

食用人造少女・美味ちゃん

ヘンリー・ダーガー最初に「食用人造少女・美味ちゃん」シリーズを見たとき、これはどこかでヘンリー・ダーガーぽいなと思った。だが会田誠は東京芸術大学大学院修了という経歴の持ち主であり、アール・ブリュットからみれば対極の存在である。

しかしこの両極が生み出すものには、空想への逃避とセクシュアリティという共通点があるのも確かである。

作品集(三十路―会田誠第二作品集)には、その印象を裏切ることなく、会田自身による解説にヘンリー・ダーガーの名前がある。

『僕の中にもヘンリー・ダーガーや沼正三のような"空想の王国に逃避したい願望"が、彼らほどではないが少し存在するらしい。』(p27)

オタク的才能

それは偽らざる気持ちだろう。会田よりも8才程年上の私でも"空想の王国に逃避したい願望"はどこかにある――まもなく50才になるというのに――。そしてそれがオタク的才能として、どこかで創造への足がかりになっていることも実感している――つまりそういう社会環境で私たちは生まれ育ったのだ――。

私たちは、子供の頃から見ていたTV、漫画のようなメディアデータは、デコードされデータベース化され、フラットに象徴界(と多分現実界にも)蓄積されている。会田の場合、そこにはなぜか彼の共同体性(日常のようなもの)が他の人よりも多く混じっていて、それが表出してしまうことで、作品に妙なリアリティを孕ませている。そしてそのリアリティがどこかで私の神経を逆なでもしているのだが――そのことで、私はどこかで会田の作品を愛してもいる。つまりこの感性は他人事ではないのである。

三十路―会田誠第二作品集

三十路―会田誠第二作品集

会田誠(著)
2002年11月30日
ABC出版
1600円+税