「自由はどこまで可能か」。(森村進)
自由はどこまで可能か
|
『自由はどこまで可能か―リバタ |
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年04月16日 | 個別記事 | トラックバック (0)
読書の時間
|
『自由はどこまで可能か―リバタ |
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年04月16日 | 個別記事 | トラックバック (0)
中沢新一(著) |
中沢新一(著) |
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年04月09日 | 個別記事 | コメント (3) | トラックバック (0)
ここのところ、『存在することの習慣―フラナリー・オコナー書簡集』を読んでいる。この本は不思議な力があって、読んでいると妙に落ち着く、というか、なにか心が安定するのである。
フラナリー・オコナー(著) |
かといって、べつにヘンな本ではなく、フラナリー・オコーナーという、たぶん殆どの人は知らないであろう(勿論、私も知らない)米国の女流作家の書簡集である。
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年04月05日 | 個別記事 | コメント (2) | トラックバック (0)
午前6時40分起床。浅草は雨。
東浩紀・北田暁大(著) |
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年04月03日 | 個別記事 | トラックバック (2)
意外なところで宮台真司のテクストを見つけた。
『ちくま』の2007年3月号である。(全文はちくまのサイトでも読める)。
それは思いのほか読みやすいものだが、ひとつだけわからない語句があった。それは「協働聯関論」の「聯関」である。なので調べてみた。
れんかん ―くわん 0 【連関/▼聯関】
(名)スル
(1)つながりがあること。かかわりあいがあること。関連。
「互いに―した問題」
(2)「連鎖(3)」に同じ。
三省堂提供「大辞林 第二版」より凡例はこちら
あとは宮台の説明を読めば文脈からの理解は可能だろう。
...全文を読む
投稿者: momo at 2007年03月27日 | 個別記事 | トラックバック (0)