インターネットの精神文化

Web2.0の概念については、私はきちんと把握できてはいない。というか、Web2.0について書いてあるサイトを読んでも、私がインターネットに出会い魅せられた、インターネットの精神文化――自発性(ボランティア)、草の根(グラスルーツ)、開放系(オープン)――となにがどう違うのかがわからないでいる。ただ私は、ずっとそれを追いかけてきたのだし、その可能性と限界の中で思考してきたのはたしかだ。


ネット世界の三大法則

たぶん、インターネットの精神文化の、現時点での技術面での実装可能性を、(ある方々が)Web2.0と呼んでいるのだろうが、話題の本である『ウェブ進化論』で、梅田望夫が「ネット世界の三大法則」とよんでいるものの方が(私は)むしろピンとくる。

第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

Web進化の方向性

『ウェブ進化論』は、やたらと楽観的だし――リバタリアニズム的ユートピア論だと(私は)思う――、お金儲けに明け暮れている日本のビジネスマン向けに、「カネを稼いでくれる新しい経済圏」というような下品な言葉を(わざと)選んで使っている嫌らしさはあるが、この三大原則の視点そのものは間違ってはいないと(私は)思う。

Webはたしかにこの方向性に進化しているし、そこには良いところも悪いところもある。

技術は良くも悪くも(キアスム的に)社会を変える――Web化する社会、社会化するWeb。

しかし、多くの社会学者がそうするように、Web2.0 meme(Webの進化)については、経済のことばを使わないで考えた方が良いのではないか、と(私は)考えている。

非経済の言葉

ためしに、経済の言葉を削除して「ネット世界の三大法則」を書き直せばこうなるだろう。

第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身(若しくは鏡像)
第三法則:(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something、あるいは、消えて失われていったはずの価値の集積

経済のことばを排除したところで、殆どなにも変わらない。なぜなら「ネット世界の三大法則」というのは経済原則ではないからだ。

Webは限定経済学では動いていない

1.5の関係経済理論(限定経済学)は実験室の純粋培養みたいなもので、多様な社会で共通して機能する経済理論などではない。

つまり「経済」は経済理論だけでなく、ほかの要素が複雑に絡み合って動いている――と考える経済学を普遍経済学(バタイユ)というがここでは触れない。

(私は)Web2.0の「2」は、近景を意味する「2の関係」(想像界)のことだと考えている――つまり贈与の原理が支配する、マザーコンプレックスをベースにした「つながりたい」を、時空を超えて可能とする世界である。

そしてそれがWebで機能するためには、遠景としての「1の関係」(現実界)が強調されることになるだろう――3の関係としての共同体性を超えて、時空を超えるためにである。

それは神の領域であり、純粋譲与でしかないのだが、まさにWeb2.0を実装する者(例えばGoogle)はコンシューマーから見れば神なのである。

そしてこの「2」と「1」の関係が、「1.5の関係」としての創造物(純生産)を生む(ことを可能にしている)。しかしそれだけでは、経済活動とは接続できることはない。

そこで、中景(象徴)としての「3の関係」が機能していない今、そこに共同体性の代わりに象徴として居座る市場原理が、この純生産を商品に転換している(例えばGoogle アドワーズ)ということだろう。

ウェブ進化論

ウェブ進化論

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる

梅田望夫(著)
2006年2月10日
筑摩書房
777円(税込)