午前6時20分起床。浅草はくもり。
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池波正太郎(著) |
この休みは、Movable Type(2件ほどインストールと設定中である)と、読書で過ごすつもりでいた。
本を読むことについては、自分でも多読だと自負はしているし、たいがいのものなら、専門書でも学術書でも哲学書でも「読める」と思ってきた。
しかし、今の私の脳みそは、専門書のような冷たいテクストがどうもいけない。
読むと眠くなる――唯一ロラン・バルトなら大丈夫なのが自分でも可笑しいのだが。
なので大衆小説を読むことにした。
まず池波正太郎の仕掛人・藤枝梅安シリーズを読了した――文庫本で7冊。
おもしろい!
藤枝梅安シリーズは、読めばすぐに池波正太郎の文章だとわかる。
えてして論理的なテクストが冗長に陥るのに対し、
それは極端にセンテンスの短い、切れのよいテクストである。
「」書きのはなしことば(パロール)が並ぶが、冗長すぎない。
しかしそれが説明不足に陥ることはことがないのは、
このテクストが縦書きであり、右から左にテクストが流れるからだ。
その構造は、右脳を使わせるためだ、というのが私の持論で、右脳はかってにイリュージョンをつくりあげる。
その解釈は快速性なのである。
解釈は、貸借を満たすために、快速でなければなりません
(ジャック・ラカン)
それをうまく利用しているのは――上手い落語とおなじである。
仕掛人・藤枝梅安シリーズは、この梅安冬時雨の途中で絶筆となってしまう。
続きはもちろん読みたいのだが、続きの物語は、自分で作り上げることさえ可能となる。
それは右脳が機能している証拠だろう。
と、本当は、この『梅安冬時雨』の巻末に収録されている「梅安余話」について書こうとしたのだが、それは別エントリーにしよう。