大阪古地図パラダイス

大阪古地図パラダイス

本渡 章(箸)
2013年7月3日
株式会社 140B

1900円+税


大阪古地図パラダイス

午前5時30分起床。浅草は晴れ。今回、大阪の140Bから送られてきた本は『大阪古地図パラダイスというもので、あたしは本渡さんの作品は、今はなき『大阪人』の2012年5月号増刊以来のお目にかかりで、その時の本の副題は『大阪の古地図はおしゃべりだ』であった。

その時の本(『大阪人』)は、本渡さん一人で作ってしまった、と(江弘毅から)聞いていたので、第一印象は、また今回も同じようにやったのか、ということだったが、それは予想通りの相変わらずなのだ(と云ってもこの本を含めてやっと2冊目である)。

そしてこの本は、結構売れるな、と思った。それは、古地図マニアという(狭い範囲の)非常にマニアックな人達がいるからた。その古地図マニアの頭はいささか「古い」。いや、その「古い」という云い方は誤りかもしれないが、古地図は「役に立たない、だけど心をゆたかにする」、と本渡さんの云う通りなのである。

それはまるで、略画的世界観(@大森荘蔵)のようなもので、近代科学成立以前の物の見方、すなわち非科学的、呪術的、擬人的、アミニズム的と云ったマイナス・イメージをもって貶められているような世界観のことだ。

しかしマイナス・イメージとは、それは現代の密画的世界観で描かれた、例えば本屋で売っている、「便利で正確で役に立つ」地図から見ればなのであり、つまり、略画的世界観で描かれた古地図は、それが描かれた時代には極めて有用な(それは今や、眺めて、想像して、歩いて、遊ぶ)ものとなる。

だからこの本を読むときには、頭は略画的世界観でなくてはいけない。その為の「いろは(眺めて、想像して、歩いて、遊ぶ)」が描かれている。この本一冊で、「いい加減な地図。科学的にバラバラに分けて分析するのではなく、全体を分けられないものとして統括してとらえた、主観的な地図。人間くさい等身大の地図」を感じられるようになるだろう。いや、正にこの本はそのような文章なのである。