三遊亭歌橘三遊亭歌橘


紺屋高尾

午前6時20分起床。浅草はくもり。昨晩は三遊亭歌橘の独演会を聴きに、お江戸日本橋亭へ行って来た。歌橘はインフルエンザにかかって居たらしく、声は何時もの声からは程遠く、ちょっと野暮な、しかし聴きようによっては魅力的になっていた。

なにしろ男の声がちゃんと演じ分けできているのだ。親方の調子のよい、そして久蔵のいかにも落語に出てきそうな声が分かるのである。目をつぶって聴いていると、ちゃんと2人の容姿までがわかる(ような気がする)。

あー「とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自生を保つとこが一つの方法になるかもしれない」な、と思った。「巨大な動き」とはインフルエンザである。

しかしその反面、いつもは得意としている(たぶん)お女郎、高尾太夫はちょっと年をとってしまっていた。声に張りと艶が無くなっていた。良く知ったはなしだけに、インフルエンザの後遺症がちょっと恨めしく思えた独演会の夜だったのだ。またフルで「紺屋高尾」を聴いてみたい、と思った、珍しい夜だったのだ。