ふっくりんこの朝ご飯辛子明太子とふっくりんこの朝ご飯


ふっくりんこ

午前4時10分起床。浅草は晴れ。朝ご飯である。本当のご飯のご飯である。この日は飯を炊いたのだ。たぶん朝にご飯を食べられるのは年に5回もないのである。ウチは朝はパンだ。ウチにいるときも、外で食べるときも、パンがデフォルトなのだ。だが、この日飯を炊いたのは、息子が弁当を持って行くからだ、と家人が云う。

学生の時も時々持っていった、と記憶していたが、又弁当か、と若いのに確りしているな、というのはうちわ話しで、それで炊いてくれたご飯が、あの北海道深川市の「小川さん」の送ってくれた「ふっくりんこ」なのである。先に「ゆめぴりか」を食べたことを書いたが、ようやく「ふっくりんこ」なのだった。

辛子明太子

「ふっくりんこ」は「ミルキークイーン」の味である、というのはあたしの意見だが、まるで(かつて買っていた)「ミルキークイーン」のように、粘りと旨味を持ち合わせた餅米の様な米なのである。しかしさめてからの「ふっくりんこ」の味をあたしは知らないのだった。どうなのだろうか。

いつでも炊きたてのほかほかを食べている。その炊きたてのほかほかは抜群にうまい。今朝は豆腐と白菜と椎茸が入った味噌汁と「辛子明太子」である。ついでに書くが、この「明太子」は福岡県田川郡赤村の「ふるさと納税」のお返しである。これもうまいのだ。

贈与経済

つまり、この日のあたしの食卓は味噌汁以外全部もらいものなのだ(笑)。こうして見ても、あたし達の生活は全てが「貨幣経済」の中にはないことが分かる。米を貰い、そのお礼にブログを書く。「ふるさと納税」をする。そのお礼の食べ物が届く。そうして成り立つ「贈与経済」が気が付かないウチに生きている。

そうして食べる「ふっくりんこ」はうまい。米の粒がピカピカと光っている、一粒一粒が新米の香りなかで輝いている。あー毎朝ご飯を炊いて食べたいね、と家と話す。でもあたしは無理なのだ。そう糖尿病なのである。それもインシュリンを捨てた食事療法が生きる道なのだ。この米の糖質を誰か半分にしてくれないか、と思うのだ。

ふっくりんこの朝ご飯

ふっくりんこ