重茂の純正産、重茂の早採りわかめ 春いちばんとうにご飯の夕餉重茂の純生産、重茂の早採りわかめ 春いちばんとうにご飯の夕餉


重茂の純生産

午前4時起床。浅草はくもり。なんてことだ、と思うのだ。「向井田さん」から頂いていた「重茂の焼うに」を長いこと冷凍庫で眠らせせていたのだが、一昨日届いたばかりの「重茂の早採りわかめ 春いちばん」が、一緒に浅草の我が家の食卓に並んでいるのだ。「うにご飯」と「まるごとしゃぶしゃぶ」にして食べようというのである。

あたしは、この2つの産品こそ「純生産」と呼ぶに相応しいと思う。つまりは「漁業の三位一体モデル」である。「漁民」と「海」と「交換」は、夫々が別々には存在していない。「漁民」は「世話をする」(つまり養殖)の代償として、この「尾茂の尾茂に早採りわかめ 春いちばん」や「重茂の焼うに」を「海」から与えられるのである。

その与えられた「海産物」は、そのままでは商品にはならない。そこで「農民」と「海」の間を無限ルー-プする輪を、ちょとだけ一ひねりして「交換」の中に入れてやるのだ。例えば、取ったばかりの「わかめ」に、「春いちばん」という名付けを行い、美味しく食べるレシピをつけてやるのである。

漁業協同組合

そうすると、今まで、雲丹の餌だと思っていた「わかめ」が、途端に市場価値を持ち始める。この市場価値とは即ち価格である。跡はこの価格を如何に上げてやるのか、抑えてやるのかは、市場が決めるのだ。だから「漁民」はもう一つの「ボロメオの結び目」を考えなくてはならない。それは「漁業協同組合」を「海」の位置の置いたものだ。

ここでの「漁業協同組合」の仕事は、純粋に「漁民」へのお世話をすることにある。例えば、今この「春いちばん」を市場に出すときだ、とか、どこの市場が最もこれを欲しがっているか。を調べるのだ。当然、その対価として、「漁民」も「漁業協同組合」への出資は行わなければならない。

「一人では出来ないことをやる」。これが「漁業協同組合」の目的の一つである。例えば、先に「わかめ」に「春いちばん」という名をつける、と書いたが、これは何処かの「漁民」が、一人で考えたことではないだろう。皆で考えることの前提が必要なのだ。それが「漁業協同組合」だ。

重茂の早採りわかめ 春いちばんとうにご飯

この日は一杯だけの「うにご飯」と、山盛りの「まるごとしゃぶしゃぶ」をいただいた。今日は幾ら食べても血糖値の心配はいらない(笑)。「わかめ」は糖尿病患者の身方なのだ。「まるごとしゃぶしゃぶ」を早速いただく。お湯に入れる前はどんよりと曇った空の如きが、いざお湯に入れた途端に太陽が顔をだす。

その緑色の鮮やかなこと、何とも云えない。そしてそれをすくいあげてポン酢の海に沈めて食べる。いや、柔らかいのだ、見事である。ちゃんと「商品」になっている。そして「うにご飯」を茶碗一膳(それも少なくよそった)食べるのだ。あー「わかめ」と「雲丹」である。こんな「純生産」を食べて、あたしの糖尿病が進む訳はないのだ。

漁業の三位一体モデル

まるごとしゃぶしゃぶ

まるごとしゃぶしゃぶ

うにご飯

重茂漁業協同組合
岩手県宮古市重茂第1地割37-1