「三位一体モデル」の基底にあるものとしてのラカンの「ボロメオの結び目」の理解。つまり人間の三つの界のトポロジーとしての理解。
ラカンは難解だといわれているが(たしかに難解だけけれども)、想像界、象徴界、現実界の成り立ちぐらいを概観的とらえれば、この三つの輪のトポロジーの意味するところの理解は十分なのじゃないだろうかと(私は)思う。
べつに精神分析をやろうとしているわけじゃないしね。(笑)
なので以下概観的に。
鏡像段階
(写真:ロラン・バルト:『彼自身によるロラン・バルト』:p25―鏡像段階「お前が、これだよ」―)
まずは、〈想像界〉である。
それは、お母ちゃんのおっぱいを飲みながら、うんことおしっこ垂れ流しの幸せな記憶だ。そして人間が人間として育つのなら避けられない段階でもある。
それは、私たちが、どうしても〈つながりたい〉という気持ちをもってしまうことや、子宮的構造に惹かれてしまう根源のようなものだ。
ラカンはこの時期を〈鏡像段階〉と呼ぶのだけれども、〈子〉は自分の姿を見ることができないので、お母ちゃんの姿に自分を写しみている――つまり鏡像。
そして母と子は(実際にはつながっていなくとも)、へその緒がつながっているようなもので、主客非分離状態なわけである――これはとても心地好い(幸せな)記憶(無意識)としてわれわれに宿る。
原初抑圧
しかしこの幸せな時期も長続きするわけもなく、いつまでもおっぱいを吸っていたい〈子〉に対して、〈父〉はこういうだろう。
「そのおっぱいはお前(子)のものではなくて、俺(父)のものだ。」
そして〈子〉はいやいや〈母〉と引き離される。これを〈去勢〉という。
この父(ファロス)の役目をするのは、なにも本当の父親でなくてもよい。あらゆる父権的なものがそうであり、たとえば、「ことば」はもっとも重要な原初抑圧の装置である。
つまり 原初抑圧とは鏡像段階(母と子の2の関係)にある子供が、社会性を身につけ一人前になっていく過程であり、真っ白だったた左脳(言語脳)にことばが寄生する(ミーム論的な言葉の用法)過程でもある。
これによって〈子〉には象徴界が構成され、社会性(3の関係)が備わる。 つまり日本人――日本語で考える人の場合、原初抑圧装置は、まず「日本語」なのである。
※日本語が構造的に原初抑圧装置として弱いことは、「日本語の構造(法大EC用メモ)」を参照して欲しい。
象徴界
この原初抑圧によって生まれるものが象徴界である。〈象徴界〉は文字通り象徴的なものが機能する社会性であり、ここには「ことば」や数や記号で表現される、あらゆるものが収まると考えておけばよいだろう。
つまり社会生活をおくろうとすれば、われわれは他者から与えられたことばをしゃべり、他者の欲望にあわせて自分の欲望をかたちづくることになる。
たとえば、今の時代なら、〈象徴界〉にあるものは、法律とか、制度とか、慣習とか、マニュアルとか、貨幣とか、科学的とか、若しくは貴方が正しいと信じているものだろう。
ただ昔と違って(かつてはここにあった)たとえば天皇や王や父のような絶対的なものはいない。
斎藤環にいわせれば、(その絶対的なものに代わって)今は「世間」がここに収まっているというのだが、まあそれこそが「象徴の貧困」ということになる。
つまり、今という時代には、あんまりうまく機能していないのが〈象徴界〉、と理解しておけばよいだろう。
現実界
あんまり機能していない〈象徴界〉だけれども、社会生活を送ろうとすれば、われわれは他者から与えられたことばをしゃべり、他者の欲望にあわせて自分の欲望をかたちづくることには違いない。
つまり〈象徴界〉は無くなってしまうわけではない。
しかしそのことによって〈私〉は根源的な「なにか」を失う。それは「なにか」としかいいようのないものである。
その「なにか」の居場所が〈現実界〉だろう。それは抑圧された〈欲望〉として潜んでいる。その〈欲望〉は無意識として〈私〉に宿る。しかしこの欲望の対象もなんだかよくわからない。
それに到達することは不可能でありながら、〈私〉のなかに抑えきらない欲望をかきたてている。
以上、概観。以下はここからの展開の一部。
無意識
しかし〈現実界〉(欲望)の存在場所である無意識もまたよくわからない。なぜなら無意識とは「我思わなくても我有り」なのである。
無意識にも、色々な層がある。脳の三層構造をみても、爬虫類層にある無意識もあれば、哺乳類層に記憶された無意識もまたあるだろう。
その爬虫類層や哺乳類層が(無意識に)表出してしまうことを動物化というのであれば、それは欲望ではなく、欲求としてであろう。
欲望と欲求
法大EC2005で使った定義。
欲求 動物的なもの。自然と調和する。特定の対象を持ちそれとの関係で満たされる単純な渇望。たとえば、空腹を覚える→食物を食べる→満足、欠乏-満足の回路。
欲望 人間的なもの。自然と調和しない。望む対象が与えられ欠乏が満たされても消えることがない。たとえば 男性の女性に対する性的な欲望→他者の欲望を欲望する→欲望は尽きない。