答えのないコンサルタントの「わからない」という方法

私は、今では「答えのない」コンサルタントを明言しています。この「答えのない」コンサルタントというやり方も、既存のコンサルタント業界では絶対に認められない方法論のはずです。コンサルタントは「知っていること」が唯一の売りものなのであり、「知らないこと」はなにも売るものがないことを意味するからです。しかし、私は全く逆の方法を行っています。これを橋本治に倣って「わからない」という方法と呼んでいます。


これは積極的にお客様との関係を深めていくことを、唯一の問題解決方法とするものです。ですから、最初にすべての答え、つまりベスト・ソリューションを提示することができません。答えはお客様とのつながりを続けていくことで、相互依存的に生まれくるだけのものです。私の浅い経験からに過ぎませんが、私の考えているIT化に関しては、すべてのお客様に通用するような同じ答えがあったことはありません。ただ共通して機能するものは「わからない」という方法という考え方だけなのです。

これまでの常識から考えれば、このように関係に依存してしまうことは、私自身が自己完結できないということであり、その分私の弱みが表出することになってしまいます。しかし、私は何がしかの信頼関係をベースするだけで、あえて弱みをオープンにしてしまうような方法をとっています。そもそも見ず知らずのお客様との間には、何か共感とでも呼べるようなルールだけを持って、問題解決に臨んでいるだけなのです。そこでは既存の制度や慣習は二義的なものでしかありません。

この方法は、私の職業の成り立ちに多くを依存しています。そもそも、自ら勝手にIT化のコンサルタントと称する、なにものでもないかなり怪しげなものである私を、インターネットはその身分で拒否するようなことはありませんでした。そればかりか、私の考える「中小建設業のIT化」に共感のようなものを感じてくださって、積極的に私にコミットしてくださる方々がそこにはたくさん存在していたのです。そしてこの共感がつくりだしたものとは、私と、私の「中小建設業のIT化」論に共感してくださった方々による「コミュニティ」とでも呼ぶしかないものなのです。

これを私は、インターネットには、これまで私が生きてきた社会とはかなり違った精神文化が存在している、と(今は)理解しています。それは、「オープン(解放性)」「ボトムアップ(平等性)」「ボランティア(自発性)」といった、かなり「はずかしい感覚」というか「照れくさい感覚」とでもいえるようなものですが、私の『「わからない」という方法』は、このはずかしくて照れくさい感覚へ自ら同化(コミット)してみようとする、私と共感してくださった皆さんとの相互作用から生まれてきた問題解決方法なのだろうと考えています。もっとも、それさえもはっきりと意識していたのではなく事後理解でしかありません。私が感じていたものは、どのようなコミュニティでも、情報を発信すればするほどに発信元に情報は自ずと集まってくるものだ、という感覚だけでした。

私の『「わからない」という方法』によるコンサルテーションは、メンバー間で積極的なコミュニケーションをおこなう中から答えを探し出すことを大切にしています。それは、私が答えを提供しているというよりは、そのコミュニティのメンバーの方々が自ら答えを探しだす作業を手伝っている、といった方がしっくりときます。いってみれば、私はお客様から教えられているコンサルタントのようなものなのです。そしてその分、私の弱みはますます露出してしまいます。でも、これでなにか問題があるのかといえば、特に問題はないのです。

ただし例外もあります。それは、私の『「わからない」という方法』がどうしても理解できない場合です。そのような方々は、私に「教えてもらう」ことを期待します。そこにはお金で買える「答え」は存在するものだ、という思い込みが存在しています。そのような方々にとっては、『「わからない」という方法』はとんでもなく遠回りな行動であり、絶望的に無駄な行動でしかありません。

さて、このような私の「わからない」という方法は、金子郁容のいう「コミュニティ・ソリューション」(金子郁容,『新版 コミュニティ・ソリューション―ボランタリーな問題解決に向けて』,2002年,岩波書店)のような問題解決方法だと最近になって理解しはじめています。金子はこの「コミュニティ・ソリューション」のほかに、旧来型の解決方法として「ヒエラルキー・ソリューション」や「マーケット・ソリューション」という問題解決方法があるといいます。前者は、資格とか、学歴とか、所属団体というような、既存の「権威」のようなものを「答え」として信じることを前提とした問題解決方法であり、後者はマーケット・メカニズムを前提とする問題解決方法ということです。

コンサルタントとしての私の特徴、つまりウリである『「わからない」という方法』や「コミュニティ・ソリューション」という問題解決方法は、インターネットでのコミュニケーションを通じて知らず知らずに身についてきたとしかいいようがないのですが、それは、それまでのサラリーマン生活で慣れ親しんでいた文化(どちらかといえば「ヒエラルキー・ソリューション」のような世界)とはかなり異質なものでした。

そして、私の活動の基盤は、インターネットの精神文化を足場とした「新しい関係」(コミュニティ)をつくりだすことに益々重点をおいてきています。つまり、その新しい関係の中で、私は積極的に関係を編集しながらまた学ばせていただいているのです。

しかしこれも今だからいえることで、なにか特別にそれを意識しながら行動し身につけてきたものではありません。インターネットの片隅でもぞもぞと生きているうちに、本当に私はいつの間にかそうなってしまっただけなのです。そして、私が「革命」というのはこの部分のことです。つまり、私がいつの間にかにそうなってしまったということで、私はこういうしかないのです。

〈インターネットの精神文化は革命である〉

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