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アパホテルで耐震強度偽装発覚(スポニチ)

≪水落建築士が改ざん認める≫京都の2ホテルで、田村水落設計の水落建築士が施工時に構造計算をやり直さないまま、設計図にあった補強材を抜くよう指示していたことが25日、京都市などの調査で分かった。市は構造計算書の偽造や強度不足を指摘し、使用禁止を勧告した。市と国土交通省によると、水落建築士から聞き取りをした際、計算書の改ざんを認めたという。

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なんとも寂しいニュースだ。

建築という技術の信頼性を一挙に落とした耐震偽装問題がまた浮上してきてしまった。

今回は、姉歯被告の偽装――それは施工コストを抑えて受注増につながる狙いもあったとされるが――とは違って、施工コストを下げる効果はほとんどないのではないだろうか。

だとすれば、単なる手抜きだろう。

そんなことが報道される度に、多くの技術者的・職人的信頼性は暴落してしまう。

それを補うように、人間を介在しない技術的信頼性の確保(その多くはITだろう)に対する期待は――たとえばWeb2.0memeにおける Radical Trusttのように台頭することになるのだが、なんだかな、なのである。

それは人間が人間を、その技術をもって信頼することができない、ということと同義ではないか――つまり職業的「種」としての、私が私であることの職業的基底としてのパトリが失われてしまう――。

それは「象徴の貧困」でしかない。

私の信頼性を証明するものは私には宿らず、私の外部にしか持ち得ないのであれば、それははたして、私の信頼性と呼べるものなのだろうか。 

こんな事件が発覚するたびに、信頼性の証明の外部化は進んでしまうことだろう――それがなんとも寂しい。

こういゆ私は古臭いのかもしれないが、もう誰も『五重塔』なんか読まないんだろうなと思う。

五重塔

五重塔

幸田露伴(著)
岩波文庫
360円+税


主人公の大工 のっそり十兵衛、棟梁 川越源太郎,、そしてお施主感応寺上人。 三人の主役が それぞれの立場をぶつけながら立派な五重塔を作り上げていく。

「江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す」

「・・・造り・・・を成す」

施主と棟梁と職人――対立しながらも、和をわすれない「ものつくり」。

対立しながらも、和をわすれないこと。これは建設業の基本哲学だろうと(私は)思うが、そんなものはどこかえ消えてしまうのだろう。

環境との対立のないところから哲学は生まれない。

哲学のない人間は人間ではなく動物である。 技術者・職人は、動物でも機械でもなく、人間である。