種浦マサオ
品番:MUCD-5115 |
面白い人ね、大阪の人って
だから違うんだ
俺は奈良生まれだ!
関西人>(大阪人/奈良人)。種浦マサオは差異にこだわる――そのことで、この歌は昨日から私の在宅仕事の友になっている。
これはスティングの『イングリッシュマン・イン・ニューヨーク』のカヴァーで、スティングに4年間頼み続けて、この歌詞(といってもわからないだろうが)で歌うこと許可してもらったらしい。
歌詞の内容はベタである。けれども、東京に住む「関西人」という画一的かつ差別的ラベリング(指し示し)への憂鬱を歌った哲学的な内容をもつ――しかし種浦マサオは哲学者ではなくシンガー・ソングライターらしい。w
オリジナルがニューヨークに住むイギリス人の疎外感、違和感を訴えたのと同様、東京に住む関西人(not大阪人)の悲哀と、笑うしかない画一的なレッテルに関して、的確な例に笑いをまぶし、切々と歌う種浦マサオ(東京在住10年)。これはもう、東京に住む関西人のためのアンセム! 勝手にオリジナル発表から20周年記念!!/再結成ポリス日本公演の来年2月には、全ての関西人がこう口ずさんでいることでしょう。♪ほんまエイリアン、なんかちょっとちゃうエイリアン、俺、関西人 in Tokyo~・・・・・。(引用:http://www.dreamusic.co.jp/release/others/index.php)
原曲の方には、〈イギリス/アメリカ〉という国境があるが、『関西人 in Tokyo』ははるかにドメスティックである――そしてそれは細分化へと向かう(〈大阪人/奈良人〉 <関西人)ことで、ズレ(差異)を笑いに転換することに成功している。
私達はその差異(ズレ)に気付いた途端、思わず笑ってしまうのだ。そしてそのズレを、ベタにではなく、クールに支えるには、たしかにこれいぐらいしっかりとした原曲は必要なのだろうな、と思う。
そしてそのズレは、どこかで私たちも感じることのできる範囲にあることでリアリティを強調する。東京でさえ〈下町/山の手〉の違いは現実にあり、地方に行けばそれは日常的にお目にかかることでしかない。例えば(私の場合)、九州>〈鹿児島/熊本/宮崎〉。そして同じ熊本でも〈山鹿/熊本/人吉〉。
つまり日本という国は、この狭い国土の中に、国境(くにざかい)がたくさんあることを教えてくれる――そうこれはパトリの歌なのである。
さらには、種と個の対立という「種の論理」的なテーゼまで持ち合わせている。
阪神ファンでくくらんとてや 俺、巨人ファンやから
だけど六甲おろしは、歌える、完璧フルコーラス
1曲だけならダウンロード価格はわずか200円(たばこより安く、たばこより長持ちする)。恐ろしく安い買い物だと思う。