桃知商店よりのお知らせ

芸としての講演定義。

午前5時起床。浅草は晴れ。今日は朝一番のANA便で、宮崎へ移動してきた。つまり今は宮崎にいるのである。

午前中は、これから宮崎地区建設業協会にてIT委員会。午後からは産業廃棄物協会にて「Blog化のすすめ」という講演である。


私は今、急ぎ働きでシステム開発仕様書(案)を書いていて (今月末締め切り)、当然にSE脳バリバリである。それは以前にも書いたけれども、芸としての講演には向かないのである。

何がむかないのか、というと、SE脳のときは、はなしが詳細に向かってしまうのである。密画的になってしまうのである。つまり説明になってしまうのだ。

例えば、同じような状況での講演であった、「モラロジー建設部会での講演用PPT」の解説ときたら、まるで仕様書なのである。

それの何がいけないのか?

簡単にいえば、詳細であることで(説明過多であることで)、聞き手の想像力は、逆に働かない、ということだ。それがいけない。

その傾向と対策として、私は、芸的なものを、講演に取り入れてはいる。

芸的なものとは、ひとつは「緊張と緩和」であり、ひとつは「イリュージョン」である。

ご存知のように「緊張と緩和」というのは、桂枝雀の落語定義であり、「イリュージョン」は立川談志の落語定義だ。

講演も落語も、いってみれば演者が勝手にしゃべり、それを聞いた聞き手が勝手に自分の脳みそで想像して楽しんでいるのである。(係数a の範疇で)。

このとき、はなしが詳細であること、密画的であることは、聞き手の想像を阻害することで、退屈な空間をつくってしてしまう、と(私は)考えている。

なので今朝も、機内で全日空寄席を聞いてきた。可能な限りモードを切り替えるためにね。

それはまたもや立川志の輔であり、演目は『親の顔』。

『20世紀と馬鹿の基準と21世紀の馬鹿の基準は、どこかが違っている、という今日この頃……』であるように、20世紀の講演と21世紀の講演の良し悪しの基準は、どこか違っている、という今日この頃……なのである。

Comments [3]

No.1

私も、いつも機内では全日空寄席を聞きます。

No.2

目から鱗が落ちました。
長年のもやもやが晴れた気分です。

自分がセミナーなどで話すと、どうしてつまらなくなるのかといつも自己嫌悪になっておりましたがそういうことなんだ。
もともと話方が下手な上に、詳細まで判るように説明しているから聞き手の想像力を阻害しているということなんですねぇ。なるほど~

話をするってことはとても奥が深いですね。
そういう意味でも噺家さんって凄い人達ですよね。
到底真似できません(笑)

No.3

桃さん こんにちわ お久しぶりです。
岐阜多治見は、昨日あたり梅雨明けしたようです。

今度は宮崎かぁ~ いいなぁ~ 僕も行きた~ぁ、、ボソッ。

因みに私は、いつも機内では昼寝をしとります(爆)。

 

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