自動掃除機 ルンバ ハローキティモデル
あたしは、基本的に(仕事部屋だけは)存在することの習慣として毎日自分で掃除していて、その都度、小さな掃除機が唸りをあげていてる。それは限りなく美しくない姿である(たぶん)。
掃除に美しいも美しくもないだろう、といわれればそのとおりなのだが、江戸箒を使うように、もっと粋に掃除ができないものか、と思うのだ。長屋のようなところに住んでいるあたしだからこそ、尚更にそうなのであって、今の掃除機は、全てが過剰な機械なのである。
続・ITコンサルタント 桃知利男の浅草的ブログ
午前6時起床。浅草はくもり。「他力」で生きる、というのは意外と難しい。もちろんそれは親鸞の言った〈他力本願〉ではなく、もっと俗世的に、「ひと任せ」「他人依存」「成り行き任せ」の意味でである。
それは「自己責任」が強調される中で、その対極の生き方として非難されてきたけれど、この生き方を徹底するのは、ほぼ不可能なことでしかない。なぜならそもそも「他力」で生きる、と決めたのは自分なのだから「他力」は「自力」な生き方なのである。だから「自己責任」で生きろ、等といわれなくても、「他力」で生きている(町内会的な)あたしは、最初から自己責任で生きているのである。
自らの身を処すということは、特別の才能を持たない普通の人々にとって恐るべき問題である。とくに彼らが伝統的な社会や愛すべきしきたりといった土壌に根をもっていない場合にはなおさらである。(ジョン・メイナード・ケインズ:『我が孫たちの経済的可能性』)
かれ(あらゆる個人)は、公共の利益を促進しようと意図してもいないし、自分がそれをどれだけ促進しつつあるかを知ってもいない。外国貿易を支持するより、国内産業のそれを選考することによって、彼は自分自身の安全だけを意図し、また、その生産物が最大の価値をもちうるような方法でこの産業を方向付ける時、かれは自分自身の利益だけを意図しているのである。しかし、かれは、この場合でも多くの場合と同様、見えない手に導かれて、自分が全然意図もしてみなかった目的を促進することになるのである。(アダム・スミス:『諸国民の富』)
マスコミにもそういう傾向があります。/著名な海外の経済学者にインタビューをする際に、いきなり「日本経済はどうしたら立ち直りますか」なんて聞くものだから、まあ適当に答えるだけです。/大した付加価値のある答えが出るはずもないですよね。
そうではなく、まず「今年、日本企業はかくかくしかじかの理由で30兆円の借金返済をしています。/こういう状況下でどうしたら良いですか」と聞けば、答は全く違ったものになるはずです。/状況説明をせずにいきなり質問して得た答をそのまま報道するものだから、益々国内が混乱することになります。/クルーグマンとかフリードマンという著名な経済学者であっても必ずしも継続的に日本のことを見ているわけではないんです。
だから大切なことは、勉強をして、自分の頭で考えて、説明をする。そして受け売りを止めることです。@リチャード・クー from NRI この人にインタビュー 2005年1月掲載
午前6時30分起床。岩見沢は晴れ。昨日は、2008年10月4日に岩見沢市で予定されている講演の打ち合わせをさせていただいた。(イベントに掲示した「日本商工会議所青年部第21回北海道ブロック大会岩見沢大会記念講演会」) 勿論、三船で鍋を囲んでの懇親会付きであった。