続・店主戯言 一覧
飲み代の代わりの本
午前7時30分起床。浅草は薄曇り。朝方8時43分頃地震があって、あたしのところも長周期地震動特有のぐるんぐるんという揺れを感じた。幸い被害は無かったけれど、以前のマンションならかなりの惨事になっていたはずの揺れだった。震源地に近い方々の無事をお祈りしたい。
さて昨晩はT君と居酒屋浩司で呑んだ。T君は時々やってくる悩み多き人だ。T君がなぜ悩み多き人なのかと言えば、彼には「中景」(依って立つ地面)がないからで、一人でいろいろと考えてはそれをあたしのところに持ち込んでくる。あたしはもっぱらその聞き役なのであって、叱咤激励するぐらいしかできやしないのだが、プレゼンテーションは相変わらず下手だな思う。
さてT君は、今は無職なので貧乏でもある。ただ律儀な性格なので飲み代の代わりに本を沢山もってきたりするのだ。あたしは読む本は自分できめる人なので、そんな本はいらないよ、なのだが、どうしてももらってくれというので、彼の持ってきた本を見せてもらった。そしたら大澤真幸さんの『ナショナリズムの由来』があった。
「へぇ、あんた真幸さんを読むのかい」と訪ねれば「全然読めませんでした」なのである。正直でよろしい、なのだが、読まないのであればもったいないので、それじゃその本はあたしが貰っておきましょう、ということで、『ナショナリズムの由来』は今あたしの机の上にあったりするのである。
「文化」はココロの器です。これに触れ、人は感動を通じて感情的に成長し、より力強い人間性を獲得して、難局に対処できる器量も養うことができる。そういうコントロールができるようになれば、少なくとも大切な職業上の会合で、自分の感情を抑えることができず、嗚咽するようなことは減るはずです。
「精神環境」は目に見えません。それを支える文化的な価値は、おなかが減った時には必ずしも腹いっぱいにはしてくれません。しかしココロの置き所が無くなった人に、人間の暖かい感情を取り戻させてくれる、本当にかけがえのない価値を持っている。 一方で、「キレる」子どもの心の荒廃や教育を問題にしつつ、同時に「財務」という、顔のないのっぺらぼうの数字によって、せっかく作ったはずの「心の社会資本」をつぎつぎに壊してしまうような、全体像とバランスを欠く政策観はまったく感心しません。(数値目標」が判断を誤らせる from 伊東 乾の「常識の源流探訪」 Bonline(日経ビジネス オンライン)
うつ病と中小建設業
鬱病というのは面倒なものだ。あたしは10年程前に「うつ」になりかかったことがあるが、その原因は「私」の社会秩序の崩壊であった。八方塞がり、抜け道のない感覚、そこにいる自分というモノからの離脱願望。
[混迷する社会で急増するうつ病 無理をせず、自負心を捨てて開き直ることも必要 - 特集 - nikkei BPnet]を読んだ。防衛医大の野村総一郎さんのお話しである。
これは「地方の建設業はうつ病のようなものだ」と言っては※1、ひんしゅくを買っているあたしには、興味深いなんていうものではなく、そのとおり、と云わざるを得ないところがある。なので長いテクストを「フレーズ」に引用してしまった。