5172gUmYwzL生きた建築 大阪


生きた建築 大阪

午前5時55分起床。浅草はくもり。大阪の140Bから『生きた建築 大阪が届いた。140Bの本である本書は、大阪市が進める「生きた建築ミュージアム事業」のセレクションに選ばれた50件の建築物が収められている。

セレクションの選考に関わった倉方俊輔・髙岡伸一の両氏による解説に加え、「生きた建築」にさまざまな立場から関わる人々のコラムやインタビューを通じて、大阪の街の楽しみ方を紹介している一冊だ、といってよいだろう。

しかし「生きた建築 大阪と聞いて、なんだ「生きた建築」というのは、と思った人は偉い。「生きた建築」なんて云っても、なんだか分からない物でしかないだろう。だからここにー冊の副本が必要になる(あたしはだが)。それがJ・ジェコブスの『アメリカ大都市の死と生』なのだ。するとこの『生きた建築 大阪が一挙に分かるようになる(気がする)。

地区というものは建てられた年代とその状態のいろいろ違った建物が混ざり合っていなければならない。もちろん、その古い建物が秩序ある調和をもっているということも含めて。(『アメリカ大都市の死と生』:p212)

短い言葉で表わすならば「信頼」ということである。街路に対する「信頼」は何年間にもわたって、おびただしい数にのぼる歩道でのちょっとしたつき合いから形成されてくるのである。「信頼」はバーでピールを飲むために足を止めたり、食料品店のおじさんから話しかけられたり、売店の売子に話しかけたり、パン屋で、買物に来た他の人とパンの品定めをしたり、ソーダ・ポップを飲んでいる男の子たちに「ハロー」と挨拶したり、「夕食の用意ができましたよ」と呼ばれるまで通りを通る女の子たちを眺めていたり、腕白小僧たちをさとしたり、金物屋の主人から商売の話を聞いたり、ドラヅグ・ストアのおやじさんから一ドル借りたり、近所の赤ちゃんをほめたりすることから生れてくるのである。その習慣は多種多様である。(『アメリカ大都市の死と生』:p68)

街に生きるあたしたちにとって、街は様々な表現を見せてくれるものだ。そして建物は何も語らないようだがそれらを生み出している基底である。そう思えれば建築物は毎日生きた人間模様を生み出す「生きた建築」なのだ。

そして、その建物の生まれた背景や生きてきた様々な環境、古い建物ならば、良くいままで壊れず様々な人間が携わって生きてきたな、という感慨。それらが一興に押し寄せてくる。そんな『生きた建築 大阪が一冊の本にまとまっているのだ。しかしこれは大阪のものである。大阪はいいな、と思う。少なくてもこうして『生きた建築 大阪という本が生まれてくるのだ。一方東京は、と考えると、ちょっと哀しい気もするのだな。