とりもつ鍋と蒸し鶏といつもの味と
午前4時20分起床。浅草はくもり。「なると」で晩飯にしたのだが、最近はなにを食べても同じ様に感じる、のは当然のことで、あたしの夕餉のローテーションはだいたい決まっているからだ。
しかし、同じものと云っても1ヶ月程度の間隔は開けているわけで、この日の「なると」も前回食べてから1か月はあいているのだが、なぜか昨日も食べたよう気分になっている。
だから、というわけではないが、温かくなってきているにもかかわらず、この日は「とりもつ鍋」と「蒸し鶏」をメインに選んだ。レモンハイも一緒にだ。しかし、この料理も何時も食べているような気がする。
けれどそれがうまいのだ。あたしは年々歳をとっていくが、「なると」は変わらずに同じ場所にある。ただしママと親父さんはあたしと一緒に歳をとる。本当は少しづつ違っている(はずの)料理の味なのだろうが、それさえも感じさせない。
いよいよこれが「街的」なのか、と考えるが、「街的」であるのは間違いだろうが、はたして「街的」だけのくくりでいいのだろうか、と考えてしまうのだ。「街的」にはもっと深遠ななにかがあるように思うのだ。[浅草グルメマップ]
なると
東京都台東区浅草4丁目39-2