亀戸餃子本店の行列亀戸餃子 本店の行列


亀戸餃子 本店の昼餉

午前5時10分起床。浅草はくもり。「亀戸餃子 本店」はこの日も賑わっていた。あたし達は行列の一部をつくり、その行列を壊すことなく30分程待った。漸くして「5名さんどうぞ」という声に従って店の中に入れば、今日も食うぞとばかりの人々、もう食っている人達の波、酒を昼間から呑んでいる人。ここはまるで(かつての)「米久本店」で牛鍋を食う人達のようである。あたしは高村光太郎の「米久」の「群衆」を称賛した詩を思い出していた。

「ぎつしり並べた鍋台の前を、この世でいちばん居心地のいい自分の巣にして、正直まつたうの食慾とおしやべりとに今歓楽をつくす群衆、まるで魂の銭湯のやうに、自分の心を平気でまる裸にする群衆、かくしてゐたへんな隅隅の暗さまですつかりさらけ出して、のみ、むさぼり、わめき、笑ひ、そしてたまには怒る群衆、人の世の内壁の無限の陰影に花咲かせてせめて今夜は機嫌よく一ぱいきこしめす群衆……」。(高村光太郎:「米久の晩餐」より)

ここには「群衆」しかいない。しかし「群種」は単に人が集まったものではない。ここにい居る一人ひとりが生き生きと餃子を食う、そして酒を呑むんでいる。そして餃子を食べるそのスピードは速い。はっきり云って餃子を焼き上げるスピードと見事にシンクロしている。つまり焼いたものは一切残らない。その場で食う。からし付きの皿にタレをつくるとあたしはビールを呑みながら5皿をたいらげたのだ。

餃子

亀戸餃子 本店
東京都江東区亀戸5丁目3-3