とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことを諦めることで、独自性を消すことが一つの方法になるかもしれない。by 桃知 利男

入院中のあたし入院中のあたし


脳梗塞で入院してから8年が経った

午前5時10分起床。浅草はくもり。2009年8月7日に、脳梗塞で1ヶ月程入院してから8年が過ぎた。今日も当時の写真を載せてブログを書く。それはあの日を忘れないようにするためのあたしの唯一の方法だ。倒れてから7ヶ月間の事は忘れられない。そう「墨東病院」を退院し、「東京都リハビリテーション病院」へ通った日々の事だ。

その通う途中の道すがらを書いた「11月の花。」と「2月の花、いや年中咲いているのか。」と題されたブログは、今見てもとても興味深い。トイカメラで撮った花が写っている。その写真よりも文章を(書けないなりに)一生懸命書いているのが分かる。そして、どちらかと云えば2月の方が(文章は)良くなっているが、しかし、まだまだだ。

この当時は「大丈夫だ」という思いが強かった。「東京都リハビリテーション病院」に通うあたしの足も、なぜ自分が病院に行くのかが分からないでいた。この分かっていない自分を思い出すと、自分で自分が愛おしい。この当時の、どうしようもない自分を思い出す。トイカメラのせいばかりではなく、ピンボケだったのだ。

だからといって、今がボケていない訳はなく、今でも充分(いや今だからこそか)「東京都リハビリテーション病院」に通う価値はある。あたしは退院後「小さな勉強会」と称して少しでも講演が出来るように努めてきたが、今年の夏の「小さな勉強会」もそのつもりで準備している。しかし、幾ら頑張っても追いつけないものがある。この勉強会もあと4回で終わる。

とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自性を保つことが一つの方法になるかもしれない」(川俣正:『アートレス』:p45)

あたしは、この川俣正の言葉を信じて生きてきたが、最近は「とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことを諦めることで、独自性を消すことが一つの方法になるかもしれない」、とやっぱり思うのだ。