農村へ出かけましょう。買って、食べて、飲んで、空知を元気に。
農村へ出かけましょう。買って、食べて、飲んで、空知を元気に。
午前4時40分起床。浅草はくもり。林 美香子先生による講演、「農業による地域づくり」 の正体は、農業の6次産業化だった。農業は、産業分類では第一次産業に分類され、農畜産物の生産を行うものとされている。正に北海道の農業とはこれに終始してきた。
だが、6次産業は、農畜産物の生産だけでなく、食品加工、流通、販売にも農業者が主体的に関わることによって、加工賃や流通マージンなどの今まで第二次・第三次産業の事業者が得ていた付加価値を農業者自身が得ようというものだ。
その結果として、農業のブランド化、直接販売、レストランの経営などが可能となる。つまり、第一次産業に付加価値をつけて、加工、流通をも行い、農業を活性化させよう、というのである。
あたしは、それを聞いて「アラン・デュカス」の取り組みを思い出していた。オーベルジュである。オーベルジュとは郊外や地方にある宿泊設備を備えたレストランだが、「アラン・デュカス」のそれには野菜農園があり、宿泊客は朝、自分で野菜を摘んで、それを厨房に持っていって調理してもらう。
面白いな、と思う。でも、それじゃ具体的に如何するのか、ということで事例が発表されたが、その事例(チーズや農家レストラン等)は若干弱いのでは、と思う。最もどれぐらいの稼ぎがあれば成功なのか等、誰も分かっちゃいないのだから、つまりは農業の6次産業化を「しよう」と取り組む過程こそが大切なのだろう。
そして結論は「農村へ出かけましょう。買って、食べて、飲んで、空知を元気に。」というPPTの言葉に尽きる(というのが林先生の意見だ)。所謂「地産地消」である。それぐらい当たり前の事を当たり前に淡々と話してくれた(と思う)。
けれどもこれは、あたしが云う「街的」と同じで、気をつけて(心して)やってないと忘れてしまうことなのだ。只でさえ「ケ」の場である農村を如何にして「ハレ」の場にするのか、と林先生は云っているように聞こえた。しかし、それは非常に難しい。
日々の農作業を「ハレ」にしなければ不可能だろう。そんなことができるのか?
浅草はそれこそ毎日が「ハレ」だ。それでも、「街的」なものが消えて行くことを感じている。6次産業さえ、やがて大手が出てきて己のシステムの呑み込んでしまう(だろう)。 個人の発想を組織が呑み込んでしまうことは今の世の中では普通にあることなのだ。しかし、それでも空知の農業は生きて行かなければならない。それは「個」としてなのか「種」としてなのか、この辺りが曖昧だった。
(あたしは)大事なことは「他者を意識してやる」事なのだと思う。それが個人が、そして小規模な団体が、生きてゆくための最初の行動だろう、と思う。決して一人じゃないんだと再認識して「意識してやる」。その後の事は「うまく行ったら考える」。しかし、それがまだ難しい事なのだけれども。