シン・ウルトラマンのパンフレットシン・ウルトラマンのパンフレット


追記

5月15日(日)、2度目の観劇に錦糸町に行ってきた。
お客さんに子供達が多いことに驚いたが、なるほど、こういう子供達が観ても楽しめるのだなと思った。
なにしろ「ウルトラマン」は現役でまだ放映されているのだ(たぶん)(笑)。

と同時に、あたしよりも若い青年達も多い事に気がつく。仲間と映画談義に花を咲かせていた。
若いというのはいいな、と思う。
あたしの様にかすかに残っている記憶を辿って観ているのではないのだろう。

この日は日曜日だと云うのに7割の入りだった。
この前は上野で最初の日だったが、雨も降っていた為があまり入りは良くなかった。

そして、今回2度目に云ったのはあたしの発案ではなく家人から云われたのだが、2度観て良かったと思った。
なによりも。この映画は色々と考えちゃいけないことに気が付いたのだ(笑)。
あるがままに受け入れたほうがいいことに気が付いた。
だから3回目は、もう少し時間をおいてから行こうと思う(笑)。

それから山本耕史がベストアクターだなと思う。「浅草一文」で呑んでいる「メフィラス」と「ウルトラマン」の姿(人間の格好だ)が一番だ。勘定は割り勘なのだ(笑)。

シン・ウルトラマンと『野生の思考』(若しくは「神話のアルゴリズム」、若しくは「ムス」)

午前4時30分起床。浅草は雨。

昨日シン・ウルトラマンを観てきた。

あたしはこの映画を観て不覚にも泣いてしまったのだよ(笑)。

この映画を観て泣いたおやじなど(たぶん)皆無だろう。

でもだ、時々みせるカメラワークの凄さに痺れ、どこか懐かしい映像に、そうだそうだ、と相槌を打ち、『そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン』に崩壊してしまった(笑)。

あたしは「ウルトラマン」が大好きな子供だった。リアルタイムで「ウルトラマン」を観て育った。

けれども、その子供もじじいになった。

しかし、この時の流れの中で、なにも変わらず「ウルトラマン」がいたのだ(本当は変わっているのだろが)。

劇中野生の思考を読んでいるシーンが出てくる。

短いシーンだったがとても印象深いものだった(あたしにとってはだ)。

ようは、このシーンをなんと考えるかだが、たぶん、それについての言及は皆無だろう。だから書くのだが、あたしは、外星人(ウルトラマン、ザラブ星人、メフィラス星人)の話を、無理やりにでも人間に戻したかったのだと思う。

その象徴としての『野生の思考』(若しくは「神話のアルゴリズム」、若しくは「キアムス」)なのである。

「ウルトラマン」と「禍威獣」でこの関係を示そう。

Fx(a):Fy(b)Fx(b):Fa-1(y)  

:はアナロジー関係
a=禍威獣 x=禍威獣の機能
b=ウルトラマン y=ウルトラマンの機能

簡単にいってしまえば、「禍威獣」も「ウルトラマン」も似たようなものだ、ということだ。

「禍威獣」が悪さをする。そこに「ウルトラマン」がやってきて「禍威獣」と闘う。その時、「ウルトラマン」は「禍威獣性」を帯びる。

つまり、「ウルトラマン」と「禍威獣」はたいしてかわらない。それが Fx(b)である。

しかし「ウルトラマン」は次第に人間性を帯びる。そう「キアムス」なのだ。最後の「ウルトラマン」は人間として地球に残るのだが、そこで見事な反転をみせている。そして、そのトリックスターは人間なのであるな(笑)。

とは云っても、構造(骨組)だけのはなしだけれどもね。

もっと悪意(?)を込めて云うのなら、この作品自体が「ブリコラージュ」なんだ、ということだ。まあ、後は観てたのしんでくれ!

キアムスキアムス

デザインワークスシン・ウルトラマン
空想特撮映画
デザインワークス

野生の思考野生の思考
クロード・レヴィ=ストロース (著), 大橋 保夫 (翻訳)