配分のルールによる阻害

さて、「地場経済の活性化と雇用の確保」を目的とした公共工事は、「官公需確保法」(村上による開発主義政策プロトタイプ 要件 4 小規模企業の育成)によって存在を担保され、その上、配分が最優先ですから「競争」はさほど大切なことではありません(要件 5 配分を平等化して、大衆消費中心の国内需要を育てる)([表1]参照)。このような公共工事の目的は、保護主義色の強い市場をつくることになります。


結果、「自治体→中小建設業ヒエラルキー」では、ネポティズム的な「配分のルール」が主流となります。この市場の審判員は「公平で有能なネポティズムを超えた近代的官僚制」を前提としていますが、ケインズの「ハーベイロードの前提」(賢人の良心をあてにすること)を持ち出すまでもなく、これがうまく機能すると本気で思っている方はほとんどいないでしょう。

地方の公共工事が、景気対策とか地域の均等のある開発などの開発主義的な配分政策に根拠を置く限り、それがすでにたいして意味がなくなっても、このルールは、配分する原資が十分にある限りは、永遠に続くのではないかと錯覚してしまうぐらいにうまく機能します。

そして、このルールの特徴は、とにかく配分が大前提であり、競争の必要性は二の次だということです。ですから、自社がいかに「技術と経営に優れた建設企業」(これもあやふやな表現ですが)になろうとIT化に取り組んだところで、その経営努力(投資)は、このルールでは受注のためのなんの根拠にもなれはしません。つまり、IT化が「技術と経営に優れた建設企業」に結びつくものだとしても、この取り組みが受注に結び付くことはないのです。こんな風に、なんとも経営学が説く理想と現実の矛盾にさいなまされる仕組みを持った市場が、「配分のルール」の支配する公共建設市場なのです。

いってみれば、ここに公共工事に依存している中小建設業のIT化が進まない最大の理由があるということです。つまり、「いくら情報化投資をしても仕事はとれない」という市場ですから、中小建設業のIT化への意欲はへし折られて当然なのです。このことを本書では「市場のルールによるIT化の阻害」と呼ぶことにします。

企業がおこなうIT化とは、本来、経営戦略として位置づけられるものです。市場での競争力の向上やその確保という「意欲」と、それをどうやって実現するのかという「戦略」の上にIT化は必要とされるです。そして、その競争力の根源としての差別化(他社と違うということ)とコア・コンピタンス(他社に勝る核心的競争力)は、ITをツールとすることで、時間と距離とが織り成す市場空間(ミーム・プール)の限りないフラット化を目指します。でも、この「配分のルール」が主流な公共建設市場では、コア・コンピタンスなどという難しい言葉は、存在そのものが無視されてしまっているに過ぎません。

中小建設業にIT化なんていらない?

「配分のルール」が主流な公共建設市場は、差別化とコア・コンピタンスさえも「特にいらないよ」と言ってしまっていますから、この市場特性がある限り、中小建設業のIT化へのインセンティブはどこかへ消えてしまうしかありません。当然に、ここでは経営戦略など必要とはされませんから、 四年に一度の首長選挙が 四年分の営業だ、というよく聞く冗談も、まんざら冗談には聞こえてこないのです。そして、経営者の多くは、確信を持ってこう言うのです。

「中小建設業にIT化なんて必要ない」

経営者にとって、IT化は公共建設市場からの適応課題でもなんでもありません。ですからそんなものにかまっている筋合いはないし、当然にIT化は経営の問題でもなんでもありません。IT化なんてただのコンピュータ・オタクの戯言にしか思えないのです。後は、「キャルス」とかいうものを発注者のいうとおりにやるだけで十分なのです。

「優良な中小・中堅中小建設業者の受注機会の確保対策」だとする公共工事(中央建設業審議会建議, 1998年2月4日)が、IT化や差別化とコア・コンピタンス重視の経営を要求していないのですから、中小建設業のIT化への意欲はへし折られるどころか芽生えることもできません。その結果、「今という時代」が陥っている需要と供給のアンバランス、つまり、餌は少ないのに仲間はたくさんいると、いう金魚鉢の問題、「公共工事という問題」の解決方法はIT化の文脈からはさらに遠くなってしまっているのです。

自己欺瞞

地域経済が公共工事に依存すればするほど、ネポティズムを超える困難さに直面してしまいます。それは、日本固有の風土や文化などといわれているものと同一視され、混同され、この政策的で保護主義的市場が既得権益を生んでしまうことを正当化してしまっています。そして、「地方版公共事業複合体」を生み出し、「金魚論」の枠に閉じこもり、挙句の果てにこう言うのです。

 「これは日本固有の文化だ」

つまり、この閉塞の前ですら、結局は今までの既得権益をただ主張することで、ますます中小建設業の競争意欲と技術力・経営力重視への意欲をいつまでもブロックアウトし続けるかのように振舞うだけですから、展望は少しも明るくなりません。仕事がなくなればなくなるほど、今までのやり方である「ヒエラルキー・ソリューション」にしがみつこうとすることしかできないでいるのです。しかし、それは有効な問題解決方法ではないことはすでに指摘したとおりですし、そもそもこの仕組みは、生まれも育ちも明治以降でしかない、つまり、日本固有の文化などではないのです。