Mobius 1/2私はこの「メビウスの帯1/2切断×2モデル」を、社会システム理論(ルーマン)的には、自らの機能における自己言及反省)のモデルと位置づけている。

まず、メビウスの帯を輪にそって真ん中から1/2に切断すると、大きなひねりをもったひとつの輪ができる。

つまり、「メビウスの帯1/3切断モデル」のような二つの輪のつながり、つまりリンクはできない。


コミュニケーション

この最初にできる大きな輪を、「私」だと考えてみよう。

そうすれば、自己言及(反省)は「」を大きくする と考えることができるのではないだろうか。

ただしこれは、つながり(リンク)はできにくい(ひとつの輪しかできない)。

そのことを、先の「メビウスの帯1/3切断モデル」でも書いたように、mixiで実験的に試すことができる。(委細は「メビウスの帯1/3切断モデル」を参照してほしい)。

それは、足あと(アクセス数)も少なく、コメントはほとんど付くことはない。

つまりリンクはできない――私のマイミク(mixi上の友人関係者)は300名を超えているに……。

ではこれは、コミュニケーション的には失敗のモデルなのだろうか。

私はそうは思わない。

Mobius 1/2×2それは、この大きな輪を、もう一度2分の1に切断することであきらかになる。

つまり、二度目の1/2切断をおこなうと、今度は大きな2つの輪がつながった状態になる。

つまり、つながり(リンク)はできる。

私はこの2 度目の1/2切断を、リアリティを孕むものと考えている。

リアリティを孕むとは、つまり自らの仕事(自らの機能)のことである――「メビウスの帯1/3切断モデル」を「おたく的才能」と呼んだのは、このリアリティの〈有/無〉によるところが大きい。

つまり、今回の講座における創造性とは、自らの機能(仕事)でのものだし、それも遺伝的なもの(流動知能)ではなく、ア ポステリオリ(後天的)に育てることが可能な、結晶知能であろうとしている。(でなければ講座の意味がない)。

つまり、わたしたちが求める創造性は、この「Mobiusの1/2切断×2モデル」にもとめるられるのではないか、それがこの講座の仮説である。

動物化若しくは人間の条件 」でも述べたように、私たちがいまできることは、象徴の一部否定(ひねり)をもって、自らの機能について語る――つまり自己言及することでしかない。

それは、アーレントの分類でいえば、レイバーとアクションの中間的な存在(ハイブリッド)としての「ワーク」の位置に自らを置くことであろう。

動物的 レイバー(労働) 生物的な欲求
ワーク(制作・仕事) 職人的創造から芸術的な創造まで
人間的 アクション(活動) コミュニケーション

そしてそのことは(自らの機能において)

観察すること、言語化すること、バルネラブルに表現すること。
―によって、つながること。

であり、(自らの機能において)自己言及することだ。そして、コミュニケーションを自らのワークに奉仕させることだ。

考える技術」が、その組織的な実装において採用する(ITの技術である)「イントラネット」は、この自己言及の組織的な実行環境であることではじめて、個々の人間の、そして組織の、創造性に寄与しようとする情報の技術でしかない。

2007年8月29日:修正
2006年11月29日:文書を全体的に修正した。