原初抑圧
原初抑圧とは鏡像段階にある子供が一人前になっていく過程であり、真っ白だったた左脳(言語脳)にことばが寄生する――ミームの寄生。
これによって人間には抑圧が加えられ、象徴界が構成され、社会性がもてるようになる。
日本人――日本語で考える人の場合、原初抑圧装置は「日本語」である。
デコード
日本語のをデコードすれば、単純にはこうなるだろう。
「漢字」「平仮名」「片仮名」は、それぞれに原理をもつ。
以下は、石川九楊の『縦に書け!』の第二章『「日本」とは「日本語」のことである』のまとめ的記述である。
縦に書け!―横書きが日本人を壊している |
漢字
漢字は中華帝国からの外来語である。
例:「漢委(倭)奴国王」。
中国(漢)から「倭」と呼ばれる地方があった。
その中に中国の柵封体制(中国が周辺の諸国に称号を与えることで従属させる体制)に組み込まれた「奴国」という小国があった。
日本(倭国)の歴史は、七世紀半ばまででは、中国の歴史の一部として展開する。中国時代、
社会の支配層は漢文を公用語とする
下層は無文字の生活語を話す
それはまだ「日本」ではない。
白村江の戦いでの敗戦(663)。
大陸と半島から締め出し。
中国(唐)からの政治的な独立。壬申の乱(672)。
大和政権の律令国家化(大宝律令)。
天皇という称号、日本という国号の確立。
仏教による中国語、中国文学の学習、識字運動が活発化する。
だが「言」(はなしことば)としての古代倭語(日常語)を、漢字は抑圧しきれない。つまり漢字・漢語・漢文だけでは満たされない「こころ」、またはそれに反発する意識が、「倭ごころ」として残る。
おそらく、異和の最大のものは中国語のあまりにも強い断言性と政治性だったと思われます。(石川九楊)
その異和を埋めることばの器が、「平仮名」と「片仮名」である。つまり、仮名は、古代倭語を受け止めている(古心:いにしえごころ)。
平仮名
例えば、
「春」を翻訳して古代倭語(自分たちが日常使っていることば)の「はる」に置き換える。
「夏」を翻訳して古代倭語の「なつ」に置き換える。
「秋」を翻訳して古代倭語の「あき」に置き換える。
「冬」を翻訳して古代倭語の「ふゆ」に置き換える。
つまり「和訓」が定着して「訓」となる。同じ頃、漢字の音(おと)を利用して、例えば、
「はる(春)」を波流
「なつ(夏)」を奈都
「あき(秋)」を安伎
「ふゆ(冬)」を布由
などと「宛字」(あてじ)表記をはじめる。
「宛字」は漢字のもともとの意味とは無関係に、「音」や「訓」を利用して表記に使った漢字である。
万章仮名(真仮名)。
万葉仮名(漢字)が崩れて「草仮名」(草書体の漢字)が生まれる。
漢語は楷書で書かれるが、古代倭語由来のことばは、くずして草書体で区分する。
中国生まれへの敬意。孤島生まれのものへのへり下り。→「まれびと」→拒絶的受容のこころ
万葉仮名から女手(おんなで:平仮名)へ。例:
「安」は「あ」に
「加」は「か」に
「左」は「さ」に
平仮名により、文字相互が語を形成しようと、上下に結合する姿を有つに至る。→結合連関
和語の表現力は飛躍的に豊かになる。→和歌や和文体の成立。
片仮名
片仮名もまた漢字から生まれた、漢字の省略形である。
「久」の初めの二画から「ク」
「須」の終わりの三角から「ス」
「乃」の初めの一画から「ノ」
女手(平仮名)とは明らかに違う。
片仮名は漢詩・漢文に翻訳理解のための補助記号(辞)である。例:
「遠上寒山石径斜」→遠ク寒山ニ上レバ石径斜メナリ。
つまり、漢字の連なりの間に片仮名を割り込ませて、それぞれの漢字を「訓」で読んだり、ときにはそのまま「音」で読んだりしながら、訳体(訓読体)で翻訳している。
また片仮名は、漢語に割り込んで、それを開く。例:
「昇降」(しょうこう)→「昇リ降リ」(のぼりおり)
これにより、ことばの理解がより容易になる。→デコードからエンコード(マッシュアップ)
九世紀から十世紀初頭に漢字+平仮名+片仮名の定着し、平仮名が隆盛となる。→和文
平安中期:『土佐日記』、『源氏物語』、『枕草子』、『古今和歌集』、『新古今和歌集』
漢文の再興(鎌倉時代)
南宋の滅亡→元→南宋の知識人が日本に亡命。
「五山」(鎌倉五山、京都五山)。
中国直輸入の漢詩。漢文の再興。「和漢混淆体」の成立(ハイブリッドであり、マッシュアップである!)
「和讃」(仏教の賛美歌のようなもの。七五調)による民衆への普及。仮名文字文学への打撃。
『方丈記』、『保元物語』、『平家物語』、『歎異抄』
基本的には、この構造で、現代に至る。
日本語のハイブリッド性=あいまいさ
ハイブリッド(雑種)は宿命的に「あいまい」である。
日本語は、そもそも音と訓というハイブリッドであり、漢心(からごころ)VS(いにしえごころ)というマッシュアップである。
さらには、「漢字」「平仮名」「片仮名」という、三種の原理のハイブリッド性は、ひとつの表現が、あるときは「YES」であったり、あるときは「NO」であったり、またそのどちらでもなく、どちらでもある、といった、玉虫色的な現象が起きる。
それが、ときとして生じる「空白=ゼロ地帯」であり、灰色の濃淡である。
例:「文」(かきことば) 「故郷が見える」。
「故郷」は「コキョウ」なのか「ふるさと」なのであるか不明のまま読み進めなくてはならない。
例:「言」(はなしことば) 「ふるさとがみえる」。
「故郷」という漢字を思い浮かべて発する「ふるさと」。「ふるさと」という平仮名を思い浮かべて発する「ふるさと」。これらは意味が微妙に異なる。にもかかわらず、どちらであるのかの確認もとれぬまま会話は進む。
伝言ゲームが成り立つ理由
日本語は文字を介在しているために、純粋に音だけで聞き取るのではなく、音から文字を想像して聞き取ろうとする。そのため、伝言内容が変化する場合がある。
例:「山田さんが手に荷物を下げています」
「山田さんが勝手にものを叫んでいます」
これは、英語の場合には、 「Mr.Yamada has a load in the hand.」の 「Mr.Yamada」が、せいぜい「Mr.Imada」程度に変化するだけだろうが、日本人は「文字を話し、文字を聞く」。つまり、
漢字(音読み)の「形」(象形)こそがかな(訓読み)に注釈を与えている
(ジャック・ラカン)
のである。
漢字の造語力、表現力
意味と形態のの完結性。→エコノミー性。例:
「雨」、「風」、「雪」
そもそも結合連関機能を備える→マッシュアップ、ブリコラージュ性。
例:
「雪」+「山」=「雪山」
「秋」+「雨」=「秋雨」
例えば、漢字を百文字覚えたとすると、100×100=100,000語を得るに等しい。(ちょっと大袈裟)(笑)
非常にエコノミーな言語システムなのである。例:江戸末期から明治初期の西欧語を漢語訳した連語。
思想・文明・主観・客観・科学・文学・芸術・経済・行政・政府・主権・議会、等。
これらの連語は、外来語をマーキングしているのである。日本語は、今でもカタカナを使い、外来語はマーキングしている。
→漢心の否定的受容→和魂洋才
結論じみたもの
こんな日本語を創造してしまった、古代倭語の「いにしえごころ」を持った先人の創造性に注目すべきなのだと思う。そこには、レヴィ=ストロースのいう「神話のアルゴリズム」が働いていることがみて取れる。
Fx(a):Fy(b)~Fx(b):Fa-1(y)
漢字という(中華帝国文化)システムに抑圧されながらも、けっして去勢されることなく(象徴の一部否定的受容)、それをデコードし、データベース化し、フラット化し、古代倭語とのエンコード、ハイブリッドをはかった先人の創造性は、マッシュアップでありブリコラージュなのである。
そして現代の日本語システムの中にも、古代倭語の「いにしえごころ」ミームは、ちゃんと生き続けているように思う。それは三つの原理のハイブリッドゆえに「あいまいさ」を宿命的に孕む。
日本語はどこかが「あいまい」なのである。論理的になりきれず、情緒性が残る。
しかし私たち日本人は、この「あいまいな」日本語で考える。それが日本人であり、(日本語で考える)「考える技術」とは、それゆえに、そもそもが(無意識の機能する)「バイロジック」でなのである。
私たちは、こんなに「あいまいな」日本語に原初抑圧される(されない?)おかげで、総じて「去勢不全」なのだが――へその緒がつながっている、未成熟――、でもその心的システムは、それはそれで、想像性、創造性の機能が働きやすい構造を持つと(私は)考えている。ここに日本語で考える技術の基底がある。