おたく的才能として
創造性における「メビウスの帯1/3切断モデル」を、私は「おたく的才能」と呼んでいる。
メビウスの帯を3分の1のところから切ると、リンク(つながり)をもった2つの輪ができるが、この切断を、キアスムにおける「実行」であり「判断」だと考えてみよう。
それはいびつなリンク(つながり)をつくりだす(つくりだされるふたつの輪は大きさが異なる)。
エコノミーなコミュニケーション
リンクとは紐帯=つながり=コミュニケーションの可能性のことであり、「メビウスの帯の1/3切断モデル」は、リンクをつくりだしやすい状態を表徴している。
つまりこのモデルでは、1回の切断(実行・判断)でつながり(他者との関係性)をつくりだすことができる。それは効率のよいコミュニケーションだといってよいだろう。
ひねり
ただこれは誰にでもできるというものでもない。
これは、バイロジックでは「対象性の知性」が勝る状態であり、〈流動知能/結晶知能〉でいえば、流動知能――遺伝的要素の強いものであり、年齢とともに衰えていくものである――が勝っている状態のことだ。
それは文字通り、ひねりが利いている。まさにトリックスターである。
mixiでの実験
私はこれを、ソーシャル・ネットワーキングサイトである mixiで 実験的してみた。
mixi の場合、切断とは日記を書く行為であり、ひねりとは、日常的な会話である「円環モデル」ではなく、明らかに偶有的なつながり、マイミクのみならずマイミク以外の足あとやコメントがつくことを狙った日記である。
しかしそれは、反省の次元に対象を送ることなく、想像界的な、コミュニケーションのためのコミュニケーションを狙っていることで「円環モデル」とたいしてかわらない。
その差異は、創造性の〈ある/なし〉だけで判断されるだろう。
1/2切断的日記はリンクができにくい
例えば、今書いているようなテクスト――それを「メビウスの帯1/2切断モデル」という――を、mixiにそのまま貼り付けてみると、足跡(アクセス数)は、100/1日程度である。ただしコメントが付くことはほとんどない。私のマイミク(mixi上の友人関係者)は300 名を超えている、にも関わらずだ。
1/3切断的日記
それをHN(ハンドル・ネーム)を変え、明らかにコメント狙いの1/3切断的日記――いつも狙い通りになるとは限らないから「3分の1切断」でもあるのだが――を最近は試みている。その試みは、日記のアクセス数(足あと数)やコメント数に如実に反映されるようだ。
たとえば、mixiの持つ機能――ニュースに対してコメント的な日記を書ける――を利用して、3分の1切断的に書くと、その日記は短時間に数百のアクセス数を数える時がある。
またそれにはコメントも付きやすいのもたしかだ。
つまり(それは小さなモデルだが)、偶有性=偶然なつながりの可能性は高まることがわかる。
創造性と問題点
この「おたく的才能」としての「メビウスの帯1/3切断モデル」は、創造性においては「才能」ある行為だと考えてよいだろう。 しかしそのネーミングの通りにそれ故の問題もある。
それはまず、誰もが実装できる「考える技術」ではないということだ。
それは「流動知能」であり、遺伝的なものであり、年齢と共に衰えていくものであることで、多くの方々には実感の薄いものであり、またネット上でのそれは、リアルな世界での「私」の仕事との結びつきが極端に弱いということである。
2007年8月29日:本文一部修正