午前7時起床。浅草は晴れ。
当サイトのmapデレクトリ( /map/)に対するリクエスト数は、昨日は373ですよ、とアクセス統計レポートが教えてくれている。それは全体の 5.79%である。 /map/とは、裏浅草グルメマップ(試作)の置いてある処であって、昨日は戯言やmixiでそれを紹介している。のであれば、当然のようにその効果を見ようとする。
紹介元の一つである mixi の足あと数は、90であって、最近では極端に少ない。それはある意味当然であって、昨日は「二分の一切断モデル」に近い日記一本しかアップしておらず、コメントが三件ついているのは奇跡のようなものだ。(笑)
ブログでは、アクセス解析は普通に行われている。有償の高機能なものも簡単に実装できる(私はレンタルサーバーに標準で付いているもので見ている)。書いている者からすれば、(せっかく書いているのだから)少しでも多くの方々の目に触れたいという気持ちが働くのは当然のことだと思うし、その結果を視覚化、数値化してくれるアクセス解析は、ブログ化の進展とともに進展している技術である。
その技術は今や、マーケティングの中枢技術でもある。アクセス解析は小さなマーケティングをしているようなものだろう。マーケティングとは、経済学的に云えば過剰生産(供給過剰)下の消費拡大(在庫処理)の技法であり――ブログは何時でも供給過剰である――、考案者は1930年代のエドワード・バーネイ(フロイトの甥)である。つまりそれは最初から高度な心理学化を志向して生まれている。
今のマーケッティングは、かなり高度な意識操作をしているのは確かだろうし、そのこと(心理学化―意識の操作化) に対しては、批判が多いのも確かだ――例えば、ベルナール・スティグレール――。私もその意見については賛同はできる一方、大様に考えているところもある。それは日本という国の持つ商売の歴史的ミームからだ。
欧米でマーケティングが生まれたのが1930年だと云うのは、それはこの技術が、意外と新しいものである、と云うことでもある。なぜ新しいのかと云えば、それは欧米が生産過剰となったのは産業革命後であることと関係する。欧米では長い間、供給不足(自給不足)だったのだ。品物は常に不足しており、希少価値を保っていた。それは商人が顧客を選り分ける社会、すなわち「売ってやる」「買わせていただく」の社会だ。それに対して日本では、1700年頃には既に生産過剰であったのである。
それは「売らせていただく」「買ってやる」の社会である。市場でも生き残りたいと思う手工業者は、何か新しいものを絶えず考案しつづけなければならなかった。彼らは、製品の品質を改良するとか、形や色を変えるなどして、なんとか競争で頭半分でも前へ出ようと努力した。誰もが同じ目標を追っていたので、着想が斬新で、品質がよく信頼性の高い製品だけがチャンスを掴める市場が発達した。誰かがどこかで買い手の注意を惹くような新しい物を作り出すと、瞬く間にそのイミテーションが市場に現れた。
商人たちは最も大切な資金と顧客を宝物のように扱った。顧客の信用こそが第一だった。狭い鎖国された社会では悪い評判が立つような不誠実な行いをすることはできなかった。たとえそれで大金を一度は儲けてることができても、評判が崩れるということは、人生が崩れることだった。他の場所に移って働くことは空間的にも社会的にも難しい。働く場所はどこでもいっぱいだった。(松原久子:『驕れる白人と闘うための日本近代史』:p70-71)
私の「考える技術」の深層には、いつもこのこと――信用・信頼――がある。それは村上泰亮の云う「技術のミーム」であり、そこには信用とか信頼という、メタなものが当たり前に存在している。
日本では、古くから、信用・信頼は経済的交換におけるメタ情報なのであり、マーケティングが如何に(心理学的に)発達しようが、日本の消費者は、いつもそのことを忘れはしないのだと考えてる。そういう消費者を相手にマーケティング活動をしている企業も、常に信用・信頼を基底において活動をしなくてはならない。故に日本では、『たとえそれで大金を一度は儲けてることができても、評判が崩れるということは、人生が崩れること』でしかない(それは最近の事例を出すまでもないだろう)。
と、偉そうに書いてみたが、翻ってわが身を見れば、どうもあやしい。(笑)
もう一度、商売人として、技術者として、技術のミームを見直してみなくてはならない、と考えている。