六文銭支店
久しぶりに六文銭支店で、カマンベールもんじゃを食べてきた。支店にしたのは、本店へいったら混んでいて支店にまわされたからである。(まあ、どっちでも似たようなものだ)。
カマンベールもんじゃは、六文銭のメニューでは一番高い値がついている。それでも840円である。
みんなでいろいろ食べる
一昨日、TVを見ていたら、月島のもんじゃが紹介されていて、その値段に驚いた。たしかに量は多いようだが、一枚1500円もするもんじゃなんて浅草じゃありえない。量はそこそこに、みんなでいろんなもんじゃを楽しんだ方が絶対にうまいと(私は)思う。
カマンベールもんじゃ
それはさておき、カマンベールもんじゃである。これについては、私自身がよく書けたと思うテキストがあるので、遠慮なくそれを再利用してしまう。
もんじゃの作り方(ロラン・バルト風)
このもんじゃは、伝統を保ちながらも(保守)、異形をも積極的に飲み込んでしまおうとする浅草そのものである。それは、鉄板に具だけを乗せ、へらで細分化することからはじまる。
もんじゃの具は、東洋の食べ物は基本的には極小に向かうという定理に従う。それは結合でもなければ密集でもなく、まずは極小に向かって散逸する。
やがてその極小に向かった破片は、集合しながら土手を形成しはじめる。それは来る変態への期待であるように秩序正しくである。
その土手は粗野ではあるが、しっかりした石積のように壁として機能する。具はカオスではなく、円環をつくり、秩序のある空間をつくりはじめる。この空間が迎え入れようとしているのは、小麦粉の水溶液というカオスである。
そのカオスの正体は、小麦粉の水溶液に、ウスターソースをレンゲ三杯、塩、コショウ、味の素を少々加えて混ぜ合わせた、茶褐色の液体である。
しかしこの褐色の混沌こそがもんじゃである。もんじゃはこの水溶液だけで成立する。つまり具はもんじゃではない。
この茶褐色の混沌がないことには、具はただの炒められた野菜のくずであり、チーズの破片である。具はこの混沌の水溶液を迎え入れることで、新たな生命(存在意義)を得るに過ぎない。
そのために(その混沌を閉じ込めるように)自らを、(幼稚ではあるが)秩序を持った土手にして(混沌の動きを)塞き止めるのである。
しかしその秩序は一瞬にして崩壊する。
崩れ行く秩序の時空で、水溶液の水分は蒸発し、具は鉄板と水溶液のかさなりのなかで攪拌され、そのリズミカルな運動のなかで具は己の輪郭を失っていく。
チーズは今や姿かたちを失うほどに極小化し、水分を失いつつある水溶液と一体化を始める。
野菜のくずはもはや生命の残骸でしかない。
しかしその極小は、極小としてもんじゃの中に生きるのである――無限小のように。
カマンベールもんじゃは、その極小を取り入れることによって、茶褐色の小麦粉の水溶液の焼き物ではなく、多層をなした無限小の集合として表出する。
今回の追記
浅草のもんじゃの味の決め手は、味の素である。味の素をなめてはいけない。
それから、カマンベールもんじゃは、カマンベールチーズの溶けた油のせいで、固形化しにくい。 そして大変に熱いので、猫舌の人は注意して食べるように。
六文銭 支店 (もんじゃ / 浅草)
★★★★☆ 4.0
台東区浅草1-8-4
03-3843-5123
[浅草グルメマップ]
Comments [2]
No.1ぱんぱんさん
いいじゃん。かなりうまそうだよ。
No.2momoさん
>ぱんぱんさん
Thanks!