イントラネット中景(種)の機器として機能させるためには、いくつかの努力をしなくてはならないが、まず、組織的なIT化においては、「コミュニケーションし過ぎるということはない」ということをまず覚えておくべきだろう。


情報は開放系に向かう(しかしその基体は閉じ――組織――だ)。

組織的IT化では、その階層においてアクセスできる情報に制限を加えるのは当たり前のように行われている。

たとえば、役員だけがアクセス可能だとか、部長クラスだけ、あるプロジェクトメンバーだけ、というようなカテゴリ分けされた情報へのアクセス制限があるのが普通だろう。

しかし、「仕事ではコミュニケーションし過ぎるということはない」のは、Web2.0の時代(今という時代)になって、ますます重要になってきている――Googleがこの手法を使っていることは有名だろう――。

つまり組織内においては、情報は隠すものではなく、可能な限り全ての構成員にオープンにすべきだ。

徹底的に情報共有可能な体制をつくる(そのためには、各自、各プロジェクトが「情報を発信する」ことを徹底しなくてはならないのだが、それについては別に書こう)。

なぜなら、情報を共有するメリットの方が、情報を隠す(制限する)メリットよりも大きいのが、(企業や事業者団体という)中景(種)の構築に、わざわざITを使うことの大きな理由だからだ。

そしてそれはWeb2.0の時代(今という時代)には、組織的な強みとさえなる。

これは私の関与先でも、比較的小規模の組織では(既に)実践されていて(規模が大きい程難しい)、それらの組織は小規模であるが故に中景は保たれ(更にはそこからの「ひねり」的実践も)有効に機能している。

それは当たり前のことでしかない。

情報を制限することは、組織外に情報が漏洩することに対する、昔ながらの防御の智慧である。

しかしそれは組織内の構成員を信頼していないことでしかない。

身近な人間を疑いながら仕事をするのなら、中景は機能するはずもない。

その意味で、私はITの時代は中小企業が優位だと言ってきた。

しかし中小企業がなぜか大企業や役所の真似をしたがるのもたしかだ(だから「ドボン」でしかないのだけれども……)。

その理由は「フレーム問題」にあると考えている――想像力の欠如だ。

情報を隠すことで利益を得てきた時代(成功体験)が長ければ、そのフレームの枠内でIT化や経営を考えることに囚われ、徹底的な情報共有体制など考えもつかないのは当然でしかない。

しかし(私は)「仕事ではコミュニケーションし過ぎるということはない」(自ら情報を発信する)ということを覚えておくべきだ、とあえていっている。

つまり今はできなくとも、できるようになろうとしなくてはならない。

なぜなら、その努力こそがIT化の取り組みであり、Web2.0の時代の中景(つまりパトリ)のつくり方であるからだ。