午前6時40分起床。浅草は雨。

今日は二度目覚めた。最初は午前1時30分だった。目覚ましをかけていた。それはF1ブラジル・グランプリ、ミハエル・シューマッハの現役最後のレースをみようとしたからだ。


F1マシンは陸上最速の(人類の)「延長された表現型」(R・ドーキンス)である。

F1というモータースポーツは、人類の自己複製子(遺伝子・ミーム)進化の実験場のようなものだと思う。

そこにあるのは〈差異〉であり、例えばルノーとフェラーリは(F1の規約は守りながらも)あきらかに違う表現型(デザイン)として存在している。

そして同じマシンであっても、ドライビングはドライバーとマシンと環境の相互作用による夫々に異なる表現型(デザイン)なのである。

そのドライビングと云う技術(自己複製子)の、最強のヴィークルであったミハエル・シューマッハと云う人の、最後のレースを見ておきたいと思った。

結果は素晴らしかった、若しこの世に神様が居るのかと聞かれれば、インテルラゴス・サーキットに神は居たと答えたい――いつも書いているけれども神は必然ではなく偶然に宿ると云う意味でだ――。

偶然としか云いようのないアクシデントのおかげで、私たちはドライビングという技術(自己複製子)の最も美しい表現型(デザイン)を自らの記憶に残すことができた。それはあきらかな〈差異〉を持ってである。

今年のF1も終わった。また来年を楽しみにして冬を過ごすことにしよう。(笑)

  • 『延長された表現型』 『延長された表現型』

    リチャード・ドーキンス(著)
    日高 敏隆 (訳), 遠藤 知二 (訳), 遠藤 彰 (訳),
    1987年7月10日
    紀伊国屋書店
    3500円+税