午前8時30分起床。浅草は晴れ。

やや二日酔い気味の朝だ。


昨晩は、飯田の熊谷さんが上京しており、一緒に浅草で酒を飲んだ。

熊谷さんとは、私がこの商売を始めてからの付き合いであり、気心の知れた酒飲み仲間である。

話すことと言えば、二人を取り巻く環境は激変したね、ということで、彼曰く、こんなに変化が早いとは想像もつかなかった、なのである。

もちろん環境とは、地場の建設業を取り巻く環境のことである。

今更だけれども、私はこうなることを予想して、その対応策を考えてきた人である。熊谷氏も建設業のM&Aの先駆者であり、こうなることを予想しながら経営をしてきた人である。

その二人が揃って、この変化は早すぎる、と言う。

それは贈与的なものが、消えていくことの現われなのかもしないね、と話した。

知性とは、詮ずるところ、自分自身を時間の流れの中において、自分自身の変化を勘定に入れることです。/ですからそれを逆にすると「無知」の定義も得られます。/無知とは時間の中で自分自身もまた変化するということを勘定に入れることができない思考のことです。(内田:『下流志向』:p153-154)

キアスムつまりだ、私たちは時間の流れのなかで、自分自身の変化を勘定に入れて生きてきたつもりではある。

それは進化的論的な適応の方法でしかない。

しかし、その時間の流れが加速度をつけて早く流れるように感じるとき、自分自身の変化はそれにおいつかない。

だからと言って焦っているわけでもない。

ただ、もくもくとやっていきましょうや(自分を安売りしないようにね)、と語りながら、私たちは酒を飲んだ。