午前7時起床。浅草はくもり。

 仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理

仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理 ~マネーの時代を生きる君たちへ~ -原田武夫の東大講義録-

原田武夫(著)
2007年1月30日
ブックマン社
1429円+税


本書の構成

本書は「東大講義録」となっているが、その内容はけっしてアカデミックなものではなく、ゼミ名「実践的現代日本政治経済論」が示すように、実践論というか啓蒙的な内容となっている。

本書を読む限りでは、この講義は非常にオーソドックスな構成をとったと思われる。それは最初に私たちを取り巻く環境の理解をし、ではその環境のなかで私達は今(時給850円にあまんじないために)何をすべきか、を考えていく、というものだ。

環境

その環境とは(表題からもわかるように)、アメリカの帝国化と日本の新自由主義化(ネオリベ化)ということになる。そして筆者はその流れに批判的である――ことで本書の内容は大きく二つに分けることが出来る。

  • 環境としての新自由主義(ネオリベ)化批判
  • ネオリベする社会での実践論

環境としての新自由主義(ネオリベ)化批判

本書の前半部分は、環境理解としての新自由主義(ネオリベ)批判である――そこでは米国の陰謀説が強調されているが、それは読み物や仮説としては面白い。ただ私にとっては特に目新しいものがあるわけはない。環境の大雑把な把握はできる、かなと思うが。

ネオリベする社会での実践論

そして実践である。どちらかといえば私は、この実践論に興味があった。ネオリベ化する社会での実践は「桃組」の課題であり、私もまたそこで「わからない方法」でのたうちまわっている。

筆者は「新しい教養」が必要だという――そしてその「新しい教養」は次の3つの要素からなるという。

  1. 金融資本主義に対する深い理解
  2. 情報リテラシーの習得
  3. ネットワーク分析

これは金融資本主義化する社会(ネオリベ化する社会)においては、「とりあえずは大きな動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」という、我々にとってはおなじみの戦略である。

今取りえる戦略としてはこれが精一杯だろう、と(私は)思う。(桃組では既に、2と3はゲップが出る程実践済みだ)――ただ「金融資本主義に対する深い理解」はやっていなかったな、と反省。(そういう勉強も個人にまかせるのではなく桃組としてやっていくべきだろうな、と思った)。

貸借があいません

しかしこれだけだと何かが足りない、と私は自分自信の反省を含めて思うのだ。桃組も、先に紹介した郷原先生も、本書の原田氏も、(反ネオリベが)今取りえる戦略は「とりあえずは大きな動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」なのだとしている。(言い出しっぺは川俣正である)。

とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自性を保っていくことが一つの方法になるかもしれない。(川俣正:『アートレス―マイノリティとしての現代美術』:p45)

そしてその具体的な方法もじつはたいして変わりはなく、一歩間違えば、ミイラ取りがミイラになってしまうような戦略なのである。

そうならないためには、個人に対して(思考停止にならないために)強烈な思考の負荷とコストがかかるのであって、ここに私は一種の閉塞感を感じてしまっている。

つまり貸借があわないのである――そのことで多くの方々はこの戦略を自らとろうとしない、ということだ。

どうしたら(ネオリベ的思考停止に負けずに)この貸借が合うようにできるのだろうか――これが私の中心課題であり続けている。

原田氏のいうように「金融資本主義に対する深い理解」を組み入れる(実際の収入を得る)というのもひとつの選択肢だろう。ただこの戦略のリスクの高さを何らかの方法でシェアして低めることができればよいのだけれども、と(私は)思う。

使える用語解説

本書は、見開きページの右側が用語解説になっている。それがなかなかによろしい。この用語解説を持ったことで、本書は新自由主義(ネオリベ)理解の入門編にはよいものとなっている。

ただし、米国陰謀説は本書的な入り方はしないほうがよいかと思う。むしろ金融資本主義をちゃんと勉強すれば(例えば『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』)、米国のその戦略は自ずと見えてくるのだから――それは人間(アメリカ)が悪いというのではなく、資本主義が生まれたときからもっていた進化のアルゴリズムに、ただ忠実であることで、そうであるなだけなのだ、と(私は)思う。