黄色い家
午前5時50分起床。浅草は雨。月曜日は
この遠くからでも目立つ「黄色い家(上の写真)」が「伝耕分室」なのだが、仕事の最中お邪魔したのは特に理由もなく、「浅草小桜」の「かりんとう」を届けに行っただけだった。
そんなもの(「浅草小桜」の「かりんとう」)は、送れば十分じゃないのか、と思うのであり、全くその言葉には百理はあると思うのだが、そんなことを云ったつて持ってきたものは持ってきたのであり、もう遅いのである。
左の写真は、この家の中の中央にある大きなテーブルに、まるでダイニングスタディをやるように、椅子に座っているあたしだ(この椅子もかなり好きな大きな椅子だ)。
この大きなテーブルに人が集まって会するのであるが、それは良く出来た「子宮的構造」だな、と関心しながら、そう云えば、最初に「伝耕」とあったときも、「だから中心は空洞(顧客に携わりながら埋めていく)であってもいいのだけれど、中心性を失ってはいけない」、と訳の分からないことを書いていた事※1を思いだす。
しかし去る時間は以外と早くやってくるのであり、「それでは」、と席を立つと、伝耕の西道さんと吉田さん(やっと名前がでてきたな)が骨仏の寺「一心寺」に行きませんか、と云われたので一緒に行ってみた。
帰りがけ山門の仁王像の間から「黄色い家」が見えた。それは見えたなんていうものじゃなく、目の前にあるのだが、この仁王が毎日見つめている「黄色い家」が「伝耕」なんだな、と初めて見た「黄色い家」が何故か仁王像と重なるのである。