グリーンアスパラ(茹で)グリーンアスパラ(茹で)


美唄の純生産「グリーンアスパラ」

午前6時30分起床。浅草は晴れ。一昨日秋野さんから届いたものは美唄の「グリーンアスパラ」だった。この美しい緑色の美唄の「純生産」を毎年食べられるあたしは、なんて幸せなんだ、と思う。

農業の三位一体農業における「純粋贈与」は畑であり、田圃であり、大地である。つまり自然のことだ。「贈与」は農家でも農村でも農業法人でもなんでもよいだろう――まさにそれらは贈与的共同体である。

農業においては、「純粋贈与」である自然に対して、それを愛おしむかのように世話をする。つまりそれは自然に対する「贈与」であり、「貸し」である。

その「借り」を返すように自然は「純生産」としての農作物を返してくれる。そこに交換が交わることで、農作物は商品となるが、あたしの処にきているこれは秋野さんのあたしに対する「贈与」だ。

  1. 贈り物はモノではない。モノを媒介にして、人と人との間を人格的ななにかが移動しているようである。
  2. 相互信頼の気持ちを表現するかのように、お返しは適当な間隔をおいておこなわれなければならない。
  3. モノを媒介にして、不確定で決定不能な価値が動いている。そこに交換価値の思考が入り込んでくるのを、デリケートに排除することによって、贈与ははじめて可能になる。

しかしこの「贈与」、元をただせば美唄の「純生産」なのである。それもまったく別の回路のものだ。その「純生産」が「贈与」としてやってきてくれるから、あたしは二重に嬉しい。

そして最大の特徴は何と云っても香りだ。一口食べる、すると「とうもろこし」のような味と香りが蔓延する。あきらかにその辺で売られているものよりも「うまい」のだ。この「うまい」も美唄の「純生産」なのだろ。秋野さん、何時までも「純生産」のように元気でいてください。

グリーンアスパラ