とちおとめとちおとめ


パトリ=とちおとめ

午前5時25分起床。浅草は晴れ。栃木の川上さんからJAかみつがの「とちおとめ」が届いた。いつものように早乙女 栄さんが手掛けた、この赤くてせつない、2Lサイズだけれども小さな食べ物、という矛盾を抱えたものこそ栃木の名物(パトリ)なのである。しかしパトリとて永遠ではない。これは12月上旬の贈与である。その上このパトリは日持ちがしないときている。

だから家に届けば直ぐに食べる。どうやって食べるのか、なんて考えやしない。そのまま洗いもしないで食べるのである。まるで、それが正しい「とちおとめ」の食べ方であるように(しかし真にその方がうまい)。けれどそのうまさは分かり易いものではないのだ。ザラザラとした早乙女さんの手ざわりを孕んでいることで言葉にはしにくい。

つまり、わかりにくいけれどもそれは「うまい」という文字にはなる。だからいつも「とちおとめ」を食べては「うまい」と書く。つまり、あたしの記憶の奥底で眠っていたなにものかを目覚めさせる非合理性を持つなにかがあることでこの「とちおとめ」は「うまい」のであり「パトリ」なのだ。

そして、その「うまい」は明らかに「立ち喰い蕎麦」の「うまい」とは違う。このみずみずしい、そして冷ややかなものを口に入れた途端に湧き上がる喜びはなんなのだろう、と何時も考える。それは季節の食べ物だからだろうか。冬に食べる果物というこれもまた矛盾した「うまさ」は格別なのだが、その喜びの理由はあたしの58年の人生をたたき直さないと分からないのかも知れない。

とちおとめ

JAかみつが(西方支店)
栃木県栃木市西方町金崎76−4