中華 珍満に並ぶ
午前3時起床。浅草は晴れ。この日は買い物の途中に、上野の「中華 珍満」に寄った。この店は何時も人が並んでいるが、この日も大量の人が溢れていた。とは云え、何時もの事だ、としばらく(20分位か)待てば入れた。相手は「町中華」だ。呑んで居てもビールと相場は決まっているし、客も待ち人を心得ている。決して長居はしない。
群衆
それに、ここの給仕は仕事が早い。この日は二人の給仕が客席を仕切っていたが、あたしらは相席でもかまわないから、と席を紹介してもらう。相席の方は、変なのが来たな、と思われるだろうが、まあ我慢して下さい。そして厨房のスピードも抜群だ。だから客がボーッとしている暇がない。
料理が出てくれば直ぐに食べる。格好なんかかまっては居られない。自分の持ち分を決めているが、傍目には皆一緒に食べているのだ。いいなこの風景は、と思う。ある意味「群衆」なのである。
(略)
ぎっしり並べた鍋台の前を
この世で一番居心地のいい自分の巣にして
正直まっとうの食欲とおしゃべりとに今歓楽をつくす群衆
まるで魂の銭湯のように
自分の心を平気でまる裸にする群衆
かくしていたへんな隅々の暗さまですっかりさらけ出して
のみ、むさぼり、わめき、笑い、そしてたまには怒る群衆
人の世の内壁の無限の陰影に花咲かせて
せめて今夜は機嫌よく一ぱいきこしめす群衆
まっ黒になってはたらかねばならぬ明日を忘れて
年寄や若い女房に気前を見せてどんぶりの財布をはたく群衆
アマゾンに叱られて小さくなるしかもくりからもんもんの群衆、
出来立ての洋服を気にして四角にロオスをつつく群衆、
自分のかせいだ金のうまさをじっと噛みしめる群衆、
群衆、群衆、群衆。
高村光太郎「米久の晩餐 」より
かぶった
この日は、何時もの「餃子」を食べる他に。あたしが「野菜炒め」を、家人が「やきそば」をオーダーする。何時もの様に、どちらが何を食べるという訳でもなく、あたしは少しだけ分けて貰えればよいのだ。まずは「焼きそば」がやって来た。そして「餃子」、最後に「野菜炒め」だ。
「焼きそば」の野菜を貰って食べる。なかなかうまい。が「野菜炒め」を食べて思った。
これは「焼きそば」と同じ味だ。
そうなのだ、「焼きそば」は「野菜炒め」の中に「焼きそば」が入っているものだと思って貰ってかまなわない。あーやってしまった。「焼きそば」がなければ全く同じではないか。こうなれば「野菜炒め」を己の持ち分と決めて、最後まで食べてやるのである。
中華 珍満
東京都台東区上野3丁目28-10