『AKIRA(アキラ)』
午前5時40分起床。浅草は雨。暇な一日を何して過ごそう、と「dTV」を見回していたら、映画『AKIRA(アキラ)』 があったのだ。『AKIRA(アキラ)』、そうだよ、この漫画は、未だ青年の気持ちを持ち合わせていた頃のあたしをわくわくさせた漫画だった。
1988年の公開だというから、もう30年も前の映画だが、あたしが『AKIRA(アキラ)』を知ったのはその原作を漫画で読んだからである。ただし、全部を読んだ訳もなく、だから最終回は知らないまま今まで過ごしていた。無論映画の『AKIRA(アキラ)』 を見たわけでもない。
ただ「大友克洋」と云う人の、その細部に異常なこだわりがある絵だけが心に残ったままにだ。
その映画が「dTV」にあることで、あたしは30年越しに『AKIRA(アキラ)』を見たのだ。映画は1988年7月16日、関東地方で「新型爆弾」が炸裂し、第三次世界大戦が勃発。それから31年後、2019年の新首都「ネオ東京」では、反政府ゲリラと軍との衝突が続いていた。
あたしは、この映画を通して30年前の自分を見ているような気分になってしまった。その妙にこだわりがある絵を見て気分は少し落ち込んでいたのだ。まだバブルだった頃だ。気分は浮かれていたはずなのに、まだデカイ車を乗り回していたころなのにだ。頭の中を過去の記憶だけが甦る。
『AKIRA(アキラ)』が描く時代は2019年である。去年のことだ。そして現実では、映画とはまったく違った形で2020年のオリンピックが先送りされてしまている。しかし、このパンデミックによる東京は『AKIRA(アキラ)』のように混沌とはしていない。ただあたしには(『AKIRA(アキラ)』と比べて)、まるでどう生きていいか分からない人達が多いように見えるのだ。