イワシの磯辺揚げイワシの磯辺揚げ


イワシの磯辺揚げ

午前3時起床。浅草はくもり。この日は「墨田区役所 食堂」でランチにした。この食堂に今年も又世話になるのだが、食堂は、コロナ対策はきちんと継続されていて(あたり前だわな)、最盛期の半分位だろうか、13時過ぎのランチでったので、食堂の中に人はあまりいなかった。

この日は「イワシの磯辺揚げ」を選んだ。無論「定食」である。ご飯を何時ものように3分の1にしてもらい、お盆をテーブルまで運ぶ。お盆か、とふと思った。元気だった頃、「お盆のような世界」という講演で話したことがあったな、と思う。

お盆のような世界

「おぼんのような世界」とは、「閉じた円環」の社会であって、それは外から見れば「なんだかよくわからないもの」でしかない。「なんだかわからないもの」に出会ったとき、人は二つの行動を選択する。

  1. 「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする

  2. 無視する

普通の人々は「2」の「無視する」を選択するだろう、つまり、デスコミュニケーションだ。例えば、地場の建設業界のおかれてきた立場というのはこれになる。多くの就業者を抱え、地域の安全と経済の基盤をになってきたこの業界に対して、誰もコミットしようとしない。

一方、「なんだかわからないもの」を「なんだかわかるように」しようとする仕事は、多くの場合、第三者が行って来たが、第三者に任せておいていいのか、と云うのがあたしの意見であった。それは第三者と基準としているものが違うからだが、(結論をいうと)それで情報を発信しろ、と云い続けてきたわけだ。

灰色が好きだ

あたしは、今の「お盆のような世界」が好きだ。少しずつではあるが情報を発信し続けている。続けることが何よりも大切なのだ。そしてそれは、「なぜ情報を発信するのか」、という問に対しての明確な答えを実践している。その答えとは、「人間は情報がなければ身動きがとれないから」である。

全く情報を発信しないモノは存在自体がないと同じなのだ。「お盆のような世界」では、内部で「メビウスの帯」の様に反転を繰り返し、また一方で「円環」をつくる出している。つまり情報を発信してもいるがまた隠してもいる。白く見せながらも黒い部分もある。つまり灰色なのだ。

灰色か、と云って「イワシの磯辺揚げ」にかぶりつく。これはうまくもありそしてまずくもまるな、と笑う。なにしろイワシがカリカリに揚げられてしまってイワシの肉身がないのである。でも、あたしは、そんな「イワシの磯辺揚げ」が好きなのだ。[浅草でランチ

イワシの磯辺揚げ

墨田区役所 食堂
東京都墨田区吾妻橋1丁目23-20 墨田区役所1F