仲見世の正月飾り(浅草寺に向かって)まだ正月なのか仲見世は


まだ正月なのか仲見世は

午前3時起床。浅草は晴れ。朝飯を食べた「銀座ブラジル」で、着物姿の若い女性達を見て、あー今日は成人式なんだと気がつく1月10日、今年初めて浅草の街を徘徊してみるあたしなのだが、新仲見世を通りを仲見世にでて見れば、「仲見世」は未だに正月の装いなのだ。あたしは5枚ほど写真をとった。

浅草寺側と雷門側である。写真が下手なのか、それとも寒かったのかは知らないが、その賑わいを伝えることができないのはさて置き、浅草の人出も徐々に増えてきてはいるのだろうと思う。まあ、初詣にも行かず、ようやく今なのであるが、しかし、あたしは確かにこの風景を書いたはずだ、と思った。

記事を探してみる。そしたらあったのだよ。それは 2007年12月11日にアップされたもので、クリスマス前の「仲見世」を書いたものだった。「浅草寺の子宮的構造」を自ら引用しながら、浅草という街が、この仲見世を中心にパースペクティブに広がっていることをだ。その一部を引用すれば以下のようなものなのだ。

迷宮子宮的構造からみれば、参道は迷宮なのであり、まっつぐ浅草寺(子宮)にたどり着いてはいけない。(というかそういう構造にはなっていない)。

確かに浅草寺の参道は、雷門(あそこ)から浅草寺本道まで(物理的には)真直ぐに造られているのだが、訪れる参拝客(精子)は、仲見世の両脇に立ち並ぶ店々や、その周辺に群がる迷宮に引き寄せられ、本堂(子宮)にたどりつくまでが大変なのである。

その迷宮をさらに加速するものとしてのこの飾りなのかな、とは思うのだが、ならばそれは目くらまし、浅草寺の迷彩色である。(笑)

こうして考えてみれば、浅草寺を中心とした浅草の迷宮の色というのは、実際よりもずっと極彩色なものなのだろうな、と(私は)思う。それも単色ではなく、五色である。(form 「子宮的構造―仲見世の師走の正月飾りは浅草の迷彩色である。(浅草仲見世商店街)」)

Re:仲見世の正月飾りは浅草の迷彩色である

あー脳梗塞に倒れる前のあたしはなんて強いんだ。何でも呑んで食べていた恐いモノ知らずの時代である。そして今の100倍は本を読んでいた時代だなぁと懐かしさも感じる(笑)。「浅草寺を中心とした浅草の迷宮の色というのは(中楽)それも単色ではなく、五色である」と決めつけるような篦棒な奴だったのだ。だれが五色と云ったのだ、と(笑)。

でも五色なのだろう。その色をあげてみれば、白と赤、金色と栗、そして緑だろうか。昔はもう少し紅白の「もも飾り」が目立つ風景だったはずで、さながら真冬の花見のようだったったが、それ程「もも飾り」姿が見えないのは残念である。まあ、その色で浅草の街は浅草寺を中心に広がっているのだ。

浅草の中心は浅草寺である。その中心が様々な人間の欲望や失望を体言化して現れている浅草の街。それを「浅草寺パースペクティブ」と呼んだ。今のあたしから見れば、まだずっと若くて欲望に満ちあふれていた自分を羨ましくも思う。そして今日のお昼は「王さまの餃子」を食おうか等と考えているあたしが撮った写真なのだわ(笑)。

仲見世の正月飾り(雷門に向かって)

仲見世
東京都台東区浅草