筋子とご飯と韓国のりの夕餉
午前4時10分起床。浅草はくもり。このところよくご飯(米)をたべるのだ。それは「小川さん」の贈り物の、「ふっくりんこ」と「ゆめぴりか」がまだある、という理由だけではないようで、週に1回、ご飯を少量炊いては、その少量の又少量を頂いている。その量はほんの少しだけれど、なんとなくご飯を味わいたいのだ。
その理由は「おかず」なのだ。写真はある日の夕餉の写真であるが、この中で、此の処あたしが好んで選んでいるものが三つある。それが「ご飯」と「筋子」と「韓国のり」なのである。そう「ご飯」に載せた「筋子」を「韓国のり」で巻いて食べる時、あたしの13年間は何だったのだ、と思う。
そう、この「筋子」が止められないのだ。今年の初めに、久しぶりで「すじこ」を食べたのだが、それはスーパー(浅草ではない)で見つけた大ぶりの紅い真珠だった。脳梗塞で倒れて以来、殆ど「筋子」を食べなくなってしまったあたしが食べたいと思ったのだ。そして食べた。それがもううまかったのだよ。
何故13年間もこれを食べなかったのか
あー、何故に13年という間。「筋子」で「ご飯」を食べなかったのか、とあたしは不思議でしょうがなかった。確かに、あたしは糖尿病である。そして脳梗塞で倒れ、その上、腎臓が半分しか働いていない。あらゆるリスクを考えれば、食べない方が良いのであろう。それは何よりも塩分においてである。
塩分が多いと、一撃で腎臓にダメージがくる。この13年間、ようやく保たせてきた腎臓なのにである。しかし、この方法は「筋子」と「ご飯」は、あたしの深層心理に深く刻まれたご飯なのでる。脳梗塞後、もらった「筋子」は食べた経験があったが、自分で買って「筋子」を食べよう、と思ったのは13年振りなのである。
あたしは今、「筋子」と「ご飯」と「韓国のり」の夕餉を楽しんでいる。勿論それだけでは身体の負担も大きいけれど、「いかにんじん」や、野菜の多い味噌汁を飲んで、少しは罪滅ぼしをしている(笑)。あー後は、この「筋子」をおにぎりにネタにして、昼餉に食べたいのだ。あのご飯粒が紅くしょっぱく染まるものをだ。