桃知商店よりのお知らせ

「白い恋人」もかよ―何人もその家卑の前では英雄足りえず。

午前7時起床。浅草は晴れ。引越しのダンボール箱の山の中、足の踏み場もな乱雑さ。当然にLAN環境などあるわけもなく、Air H"を使っての更新である。今日も一日引越し仕事。(熱中症対策は万全に!)


白い恋人

石屋製菓「白い恋人」表示改ざん 賞味期限1カ月延長 アイスに大腸菌群

(略)

一連の問題は八月九日以降、数回にわたって同保健所に電話で同社の従業員を名乗る人から内部告発があり、発覚した。

だから、何度も書いてきたように、中景(種の原理)が機能しないシステムでは、「何人もその家卑の前では英雄足りえず。 」なのである。

家卑とは、企業の場合、従業員である。

それは、従業員は雇い主を裏切りる、ということではない。 (忠誠心などという言葉は今や死語だろう)。

ただ「種の論理」が働いていない、というだけのことだ。

種の論理

「種」とは、田邉元のいう「種の論理」の種的基体のことだ。

下の図でいえば、第4象限にあたる。それは第2象限を視野にいれることで「ローカル」全体に存在し、(「種」における「個」は)第3象限を経由することで「世界」(グローバル)につながる。

パトリとは第4象限のことである。

それは私のことばでは「個は種のミームの中で育ち、また種は個の変化によるミームの変化を内包している」である。

種と個

つまり「種」としての「企業」は静的なものではなく、矛盾としての「個」(従業員)を孕む――その「個」における「種」の否定即肯定という運動を原動力に「種」は変化し続ける。(静的であれば進化的に淘汰される)。

種はカオスであり、多様体であり、非合理な「分有の論理」の支配する力場であり、「野生の思考」であり、共同体の知恵の集合体であり、陰翳であり、テリトリーであり、純粋な差異なのだ。現実の世界を構成するのも、無意識の領域にうごめいているのも、内包も、外延も、いっさいの貨幣を水路に流し込んでいこうとする資本主義によって。「種」が多様体のなりたちをしていること自体が、立ちふさがる障害であったのだ。(中沢新一:『フィロソフィア・ヤポニカ』:p160-161)

わたしたち(「個」)は「種」からしか生まれ得ないことで不自由であり、「種」に対する否定性を媒介することで「個」はなりたつ。

しかしその関係(種の論理・中景)が崩れてしまえば、私たち(従業員)は(形式的には)自由なのであり、それを強調すれば、「種」に対する否定性だけが際立つことになる。

種の論理におけるコンプライアンスとは、見られている、という自覚なのである。

つまり、みんな知っているのでございますよ、なのである。

追記 

2007年8月17日

11年前から偽装の恋人…賞味期限改ざん社長一転「知っていました」 スポーツ報知

「白い恋人」は11年前から「黒」かった―。北海道土産の超定番「白い恋人」の賞味期限改ざん問題で、製造元の石屋製菓(札幌市)の石水勲社長は16日、本来の賞味期限を1~2か月延ばして改ざんする行為を11年前から行っていたことを公表した。社長自身もこの行為を把握していたという。日を追うごとに明るみになる不祥事の連続は、食肉偽装事件で揺れた「ミートホープ」と似た様相になってきた。/不祥事発覚から3日目での“完落ち”だった。14日の記者会見で白い恋人の賞味期限の偽装表示を知らなかったとしていた石水社長はこの日、「(改ざんは)知っています。知っていました」と自らも改ざん行為を把握していたことを認めた。

ここだけは磐石だろう、と思っていたのだが、世の中、わからないものでございますね。

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