「米FRB、公定歩合を緊急引き下げ・0.5%下げ5.75%に」したことで、信用力の低い個人向
同様に「NY円、反落 1ドル=114円30―40銭、FRB公定歩合引き下げ受け」で、「東証大引け・大幅に3日続落――ITバブル崩壊時以来の下げ幅」も、週明けには少しは反発するだろう。そして
と、ニュースのタイトルを並べてみた。
サブプライムローン問題
今という時代の経済は、金融資本主義、過剰流動性の時代であることで、わかりにくい。
ただ、今回の世界同時株安は、米国のサブプライムローン(信用度の低
が、同時に、サブプライムの場合、小口に証券化され、さまざまな金融商品に組み込まれて、また各金融機関がリスクヘッジのため分散投資を行っている。
(それらは、交換の原理が、「経済」という純粋贈与に働きかけることで増殖する「資本」が、トポロジックなジャンプをすることで生まれた商品である)。
そのため、実態の把握ははなはだ困難であり、今回の問題は、損失が確定していない、ということに尽きるだろう。
つまり、どこまで損失が拡大するのかがわからないことで、市場の疑心暗鬼を招き、信用不安につながっている。
コルヌコピア
ただ資金は枯渇することなく、絶えず受け入れ先を求めている。(今回の問題解決のために、米国経済の流動性は益々高まるしかないだろう)。
そして、金融資本主義における価値の増殖は、交換と純粋贈与の交わりにおいて起こる。それはコルヌコピアが、〈純生産〉の位置(贈与、つまり人間の自然への愛ある労働の必要性)から、〈資本〉(交換の原理)に移ったことを意味する。
コルヌコピアとは、ゼウスが幼少の砌,乳を飲んだとされる山羊の角のことで、幼いゼウスが吸うと乳が止め処もなく湧き出たという伝説に基づく。つまりは富の増殖装置(増殖の場)とでも理解していただきたい。
金融資本主義もまた資本主義同様に交換の原理で機能する。(あたり前だのクラッカー)。
資本=ファロスの快楽
強調すべきは、資本の増殖は、ラカン派の精神分析(ボロメオの結び目)では(つまり人間の心理的な部分でいえば)、「ファロスの悦楽」で起こる、ということだ。
つまり、金融資本主義(というか、今という時代)は、「ファロスの悦楽」で動いている。
ファロスとはペニスのことだが、ラカンは母親の欲望の対象(象徴)、つまり自己に欠落した羨望の対象となるものの総体を称してそう呼んでいる(と私は解釈している)。
去勢
つまり、今という時代には、(おぎゃー、と生まれて)贈与の関係(想像界=母・子=鏡像段階)にいる私たちを、交換の原理(象徴界=父=法)が去勢する。
そのことで、私たちは、ファロスの悦楽(お金の悦楽)を覚え、だれもが消費主体として生きることを強要される。(労働しなくても、お金が増えることを求めることは、どこかで、愛のないSEXを求めること、もしくはマスターベーションに似ている)。
さらに去勢が順調にすすむなら、(理論的には)資本主義が前提とする、経済合理な人間(合理的な愚か者)にもなれるのだろう。
この虚勢がうまくいかなかった人たちは、つまりは経済活動からは落ちこぼれではあるが、マッシュアップ的な想像力はやたらと働く。(アールブリュトもしくはオタク的才能)。
普遍経済学の対象性
閑話休題。今という時代に、〈父〉として機能しているものは米国ということだろう。
ドルを印刷し、経済のルールを牛耳り、世界中の贈与の関係を破壊(虚勢)している。(帝国主義化)。
だからといって、この父とて絶対ではなく(神はいない)、経済は本来そうであるように、自然(純粋贈与)として振舞う。時に果実を与え、時に荒ぶる。
しかしそのとき、我々人間が、経済(純粋贈与)へ働きかける手段は、贈与ではなく、どこまでも交換の原理である。(贈与を孕んだ、配分の経済学、ケインズ主義はどこかへ行ってしまった)。
しかし経済は本来、純粋贈与を蝶番のようにして、贈与経済と貨幣経済という双子の兄弟(表裏)でできあがっている(と考えるのが普遍経済学である)。
ラカンが(ボロメオの結び目を使って)いうのは、この3つの輪のバランスこそが大切だ、ということなのだが、金融資本主義は、贈与経済という兄を殺した弟のようなものであることで、どこかで信じきれないのである。
つまり経済という自然も交換の原理によって破壊されている。そのことで、私のような小さきものは、その荒ぶる自然(経済)に翻弄されてしまうのである。