呑めば、都: 居酒屋の東京

呑めば、都: 居酒屋の東京

マイク・モラスキー(箸)

2012年10月25日
筑摩書房
2100円+税



呑めば、都: 居酒屋の東京

あたしは浅草に住み、余計なものは一切持たずに暮らしているが、それを「街」で生活し、家は帰って寝るだけ、と評したこの先生を、なんて褒めていいのか分からなかった(もちろんあたしを評したのではないが)。そんなもので、『呑めば、都: 居酒屋の東京』を1冊買って来た、それもミーハーにサインをもらって、と云う次第である。1

午前5時30分起床。浅草はくもり。この、『呑めば、都: 居酒屋の東京』は、マイク・モラスキーさんの著作であるが、江弘毅曰く、「註釈の多い本だよ」、と云うとおり、P299からP334迄が註釈なのであり、あたしはこの註釈というのが特に嫌いではないので、喜んで読ましてもらったのだ。

『呑めば都』と云っているだけあって、この本、学術書では勿論無く(いや、ちょっとそっちぽいことが無いわけではないのだが)、都とは東京のことで、つまり東京で呑んで極楽になっちゃった、という本である(たぶん、それで間違いない、と思う)。その点、江弘毅の、『飲み食い世界一の大阪 そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』と同じく、ハッキリとテリトリー性があってわかりやすい。

ただ東京といっても、とても広く感じるあたしには、本書に出ているところで、知っているところはお花茶屋と立石だけで、浅草に棲んでいる身からすると、赤羽と十条と王子は何時か行ってみたいな、と思うけれど、他の処、例えば、溝口や府中、大森、平和島、大井町、そして国立等の処は遙かに遠い処なのであり、たぶん一生行かないだろうな、と思うのだ。

だいたい浅草も3丁目と4丁目しか知らず、2丁目と5丁目は自分の行く範囲しか知らないというあたしであるが、モラスキーさんは、旅人(traveler)のように、一方的に〈町〉〈店〉〈人〉を消費しないことを宣言している人であり、その消費しない赤提灯愛好家が、足の向く先々を、モラスキー流に飲み歩くのだ。

それは社会学的に正しい(?)のだろう、と思う。それよりも一度モラスキーさんと呑んで感じるのは、この人は相当肝臓が強いのである。じゃなければ、あたしなら呑んで忘れてしまうことを、綿密に、そして(最初に書いたように)膨大な註釈をもって書けるわけがなく、さらには、ただでさえ爺臭いと思われるこの趣向は、ますます変わっていく「東京」という社会を見るには打て付けの趣向だ、と思うのだ。

故郷を持たないのは、あたしもモラスキーさんも一緒なのだが、たまたま棲んだ処が「東京」と呼ばれる幻想であるならば、その幻想にもまれて「心の故郷」を得、一生を終えるのも同じなのだ。ならば、その幻想の中に、埋め込まれるように呑んでみたい、と思うのも、また一緒の心象だと思う、というのが、最近は酒がめっきり多くなったあたしの感想なのだ。

  1. 江弘毅とマイク・モラスキーさんと一緒だったこと。 -モモログ4