市田柿市田柿


市田柿

午前6時50分起床。浅草はくもり。飯田の熊谷さんからもらったもは市田柿だった。市田柿干し柿は「粉をふく」に通じて、幸福を表すものらしく、それは、確かに、天然(自然)からの恵みだろうが、自然が自然のままでは決して生み出すことのない恵み(粉をふく)である。

人が皮をむき、秋冬の日光に当てることでもたらされる「純生産」。甘さ(価値)は増殖し、「粉をふく」幸福とは「女の悦楽」であろう。これが市田柿のもつ素晴らしさだ。

そういう意味で「干し柿」は確かに縁起ものなのだし、そのような意味(情報)をまとうことで、市田柿もまた情報が見えるし信頼を勝ち得ている。

情報を見えるようにすることが、あたしのIT化の目標ならば、「とりあえずはこの巨大な動きの中で流れて、それ以上のスピードで流れていくことで独自生を保つとこが一つの方法になるかもしれない」と云うように、この市田柿は見事に無限小をまき散らしているのであるが、そんなことよりも一言云わせてもらえば、あーうまそうなのに、どうしてあたしは食えないのか、なのだ。