恵方巻恵方巻


恵方巻

午前5時10分起床。浅草は晴れ。昨日は節分で、狭い部屋故に豆をまかない我が家でも「恵方巻」だけは食べる。思えば今から20年程前、四日市のコンビニでは普通に売られていたこの「恵方巻」も、まだ東京にはなかった(と思う、というか「恵方巻」という呼び方はなかった)し、恵方を向いてこの太巻きを食べる、なんていう行事も一般化していなかった。それが何時の頃からか、東京以北でも普通に「恵方巻」は売られている。たぶん皆さんの地域でも「恵方巻」は売られていたことと思う。

これは偏に「交換の原理」のおかげなのである。「交換の原理」はあらゆるメディア(勿論「交換の原理」の味方である)を使ってあたし達にささやいてくる。節分には「恵方巻」を食べて幸せになろう、と。これが昔のままなら(「交換の原理」がそんなに発達していない世の中なら)、東京で「恵方巻」なんてちゃんちゃらおかしい。「恵方巻」は大阪のものだし、大阪の歴史と地図を出ることもなく、つまり大阪人の発明品は大阪人のものなのである。

しかし「資本」は誰の発明品でもかまわない。何かを売ろう、こう決めたなら目的に向かって徐々に「恵方巻」という「ことば」を流行らせてくる。それは計算された「ミーム」なのだ。だけどこの行事(節分に「恵方巻」を食べる)は、決してあたしには優しくはないのだ。糖質制限食の制限がある。この寿司酢で味のついた米の部分を、蒲鉾にしてくれないかな、と何時も思っている。だけど今年は食べた。5cm程に切ってもらい「骰子一擲」とばかりに一口に掛けたのである。そしたら、うまかったのだわ(笑)。

恵方巻

恵方巻