新米のゆめぴりかを食べてみた
午前4時10分起床。浅草はくもり。今年も北海道深川市の米がやってきた。小川さんが送ってくれたのだが、あたしの好きな「ふっくりんこ」それから「ゆめぴりか」もある。
今年はまず「ゆめぴりか」を食べてみようと思った。
あたしは「ふっくりんこ」のファンであることを公言しているが、今年は「ゆめぴりか」をまずは食べようと思った。なぜか「ゆめぴりか」なのである。
だけど、あたしは米を(あまり)食べられない。しかし、それも「糖質制限食」の縛りがあるだけで、米を食べられない、といは云え、米は食べる気になれば幾らでも食べられるのは確かだし、代用品である「マンナンヒカリ」を用いて時々ご飯を炊いて食べているのも事実だ。
だけども、今回はそれ(マンナンヒカリ)無しで炊いてみよう、と思った。それも炊飯器の「極炊き」モード(1時間かかる)てだ。折角の新米である。「ゆめぴりか」である。どうせ炊くなら時間を惜しまず、1時間でも何時間館でもかけて炊いてみようと思った。
そして約1時間後、「ゆめぴりか」が炊き上がった。この米は炊きたての本当に熱いうちに食べる。食べる、と云ってもご覧の量である。量は少ないが、味は充分に伝わってくるだろう。それに大好きな鮭をあわせる。そして一口ご飯を口に入れた。
すると、ふわーっと米の甘みが口の中に広がるのだ。あーこの米はうまい、と脳裏であやしが囁くのが分かった。 「ふっくりんこ」よりもうまいかもしれない。甘く、粘りを感じるその食感は、まさに新米を食べているという気持ちを高めてくれる。
味はそのままで全部食べられる。鮭の塩焼きは無くても大丈夫だ。これは「塩おにぎり」にしても抜群のうまさだろう。
地球の温暖化(北海道では2℃ほど高くなったそうだ)のせいで、北海道でも本州以上の米がとれるようになった。それは米だけに限らず他のもの(例えばワイン用の葡萄)でもそうなのだから、いよいよ食料庫としての北海道の時代がやってきた、と云えそうだ。