続・行きがかりじょう、俺はポンになった。

続・行きがかりじょう、俺はポンになった。

バッキー・イノウエ(箸)

2013年2月10日
百練画報
500円(税込み) 


続・行きがかりじょう、俺はポンになった。

午前6時25分起床。浅草はくもり。大阪に行った際、140Bに寄ったら、この本『続・行きがかりじょう、俺はポンになった。』をいただいてきた。

続・行きがかりじょう、俺はポンになった。著者はバッキー・イノウエだけど、「内田樹先生をしてバッキーさんは天才と唸らせた『行きがかりじょう』の続編を140Bでも友情販売(500円)。現在10冊在庫、お急ぎでどぞ~」、と青山ゆみこ女史がTwitterでつぶやいていたものだ。

生まれてからずっと箱庭のように狭い京都にいて、そこで毎日呑んで、ついに「酒でパー」に成った男の書いた本である。なにかを得ようとして読んでも、それは無理であるが、だからといって意味がないわけではない。

酒でパー」というのは、『要するに街でしか求められないものがあると感づいて街に出ているうちに、何度も何度も街でゴキゲンの核心に触れて、やったと思った瞬間にそれが何だったかわからなくなってまた探しているうちに長い旅をすることになり、きつい度を経て「酒でパー」になっていくのである』注1、だそうだ。

しかし、『何度も言うがそれはアル中のことではない。酒でどうかなっていることではない。言葉の意味を一言で表せないけれど「酒でパー」という語感がピッタリくるのである』注1、となんだか分かったようなことを言うが、しかしあたしはなんだか分からないままなのだし、そして表題なのだが、『俺はポンになった』と彼は云うのだけれど、一体『ポン』ってなにものなのだ、という具合に、あたしのボキャブラリーを越えてやってくる。

でもそれでいいのである。これはバッキー・イノウエが書いた本なのだし、それも京都裏寺の「百練」でしか扱ってないという、浅草に住むあしには大変希少価値のあるものなのだ、と神棚にあげてから読む、というミーハーな処を丸出しにして、しかし読んだらあたしが呑みたくなって来てしまうのだが、何度も云うようにだ、あたしは週に2回しか呑めないことになっている(ホントは)、淋しい男なのである。

※注記

  1. 『続・行きがかりじょう、俺はポンになった。』 バッキー・イノウエ p8